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「新しいことに挑戦する」

24回目の投稿

 みなさまこんにちは。いよいよ暑くなってきました。

苦手分野には触れたくない

 「センスあるね」と言われるとうれしいですよね。人間は人と関わりながら生きていく生物ですから、周りの人間から認められるとうれしいのは当たり前です。逆に周りの人間に見下されれば悲しみを感じたり、怒りを感じたりと負の感情が働きます。当たり前ですがね(笑)。

 自分の長所は人から褒められることも多く、もっと頑張って伸ばしたくなりますよね。数学が得意で点数も高く、周りの人間から「すごいね」と言われた。だから、数学をもっと頑張ろうと思うことができる。
 しかし、苦手な分野だったらどうでしょうか。運動が苦手で、体育の時間はいっつも恥ずかしい姿を見せている。このような状況であれば負の感情に支配されてしまって、運動をするやる気がおきない、それどころかいやになってしまいます。

「一点集中型の人間」に立ちふさがる壁

 数学がどうだ青春がどうだといつも語っている自分がなぜこんなことを急に書いているかというと、「人間が成長する瞬間」はどのような瞬間なのか、暇な授業の間に考えていたからです。(高校生ですから、いろいろなことを考えて毎日生きています。下らないことも含んでいますが。)
 
 人間が成長する、という表現が非常に曖昧ですから何とも言えませんが、やはり「苦手分野を克服する瞬間」なのでしょうね。これこそ「生きがい」であるのかもしれません。幼少期に特別な訓練を受けて授かったセンスを生かした長所を伸ばしていくことも十分大切だと考えます。この場合、一点集中型の人間になっていくでしょう。得意分野での能力が非常・異常に高い、そんな感じの人。研究者とかに多そうですね。
 しかし、最近の私はどうしても「バランス型の人間」になりたいと思ってしまいます。中学生のころは勉強だけできればいいかな、と思っていたんですが、高校に入ると少し考え方が変わりました。なぜそう感じるようになったかというと、単純にそっちのほうが人生が豊かになりそうだと感じるようになったからです。
 もし勉強だけをやって、優秀な研究者になれたとします。そして稼ぎもある程度、結婚して家庭を持った。さて、明日は土曜日。何をするか。
と聞かれると、少し恐怖を感じます。あまりにも勉強だけをやっていたせいで、勉強以外の世界を知らない、という状況になり得ることに対する恐怖です。

 しかし、一点集中型の私がバランス型の人間になることは非常に難しいでしょう。まず、勉強以外の世界を知らない、つまり視野が狭い。閉ざしていた世界から外の世界に出ていくのって結構エネルギーを使うでしょう。
 そして、勉強以外の能力が極端に低い可能性がある、ということも考えられます。私は最近調子乗ってバドミントンをやり始めましたが一向にうまく成りません。今まで勉強しかやってこなかったから、運動全般の感覚(これを運動神経と称するのか?)がそもそも身についていない。だから、新しい特色を身に着けるのに他人よりも何倍もの精神力と体力を使います。

新しいことに挑戦する

 バランス型の人間になる、ということは「新しいことに挑戦する」と言い換えられます。上でも書いた通り、これには大きな力が必要です。何があっても挫けない、そんな精神を持っているかどうか。自信はあるか。
 でも、苦しみの末に身に着けた力はきっと将来にわたって「自分の特色」として光り輝いてくれるのではないでしょうか。また、苦難を乗り越える経験は、次の苦難を乗り越えるための原動力となるのではないでしょうか。

 そう考えると、苦しみながらも「苦手を克服する」ということは大きな意義をもっているのではないか、と思います。嫌なことにあえて自分から近づいていく、そうすると新しい世界が見えてくるのかもしれません。

編集後記24

 ここまで読んでくださった皆様ありがとうございました。自分の運動神経の悪さにはびっくりしています。ほんとに「ゴミ」です。1年後、私はどうなっているのか、とても楽しみです。

 では、またいつか。


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