「澄んだ心」と「第6感」
※この記事は幽霊などといった存在を肯定・否定するような内容のものではありません。
疲れたので、少し散歩
何かわからないけどいや~な気分、憂鬱な気分になる事ってありますよね。私も自分の特技とか、最近の成績などを気にしてしばしば「病み期」に陥ります。
そんな時、私は考えるのをやめてお散歩をします。いつもなら放課後は自習をするのですが、その日はそんな事はせず、ふらーっと「お気に入りの場所」に出かけるのです。「武田神社」という神社です。
一人で行っても良かったのですが、「人と静かにお喋りしながら散歩したいな」と漠然と感じていたので友達を連れていきました。
平日の午後、曇天の下、湿った空気で満ちた神社。本来なら観光客でがやがやしていますが、その日は閑散としてました。
閑散としているからこそ、人の目を気にせずにじっくりと色々なものを観察できるんです。淀んだ池、湿気も相まって鬱蒼とした森、静かな境内……
「水たまりっていいよね」「あのお札はなんだろう」「神さまってどんな存在だろう」……静かにお喋りをしながら、静かにお散歩。難しい事なんて忘れて、ただどうでもいいような事を友達とおしゃべりしながら境内を散策。
本殿へ続く道を逸れて、細い道に入りました。特に意味もなく、ただぶらりと歩いて行きます。何に導かれているのか知りませんが、行きたい所に行く、これが「静かな散歩」の醍醐味です。
「あの草むらの石碑は何だろう」、「あの隠れた小屋は何だろう」、「あっ、キノコ生えてる」……
感じたことをそのまま口に出すような、そんな会話を続けていると、さっきまで感じていた「悩み」はどこかに行ってしまうのです。
ふと、立ち止まりました。
今までの人生では経験した事のないような、胸がきゅーんとなるような感覚。なぜか目の前に広がる森、急に怖く見えてきました。
しばらく黙っていると、友達が「なんか怖くない?」と一言。驚いたことに私と全く同じものを友達も感じていたようです。
「霊的」というとおかしいですが、なんか生々しいものが森の中にいるような、そんなものを感じました。
結局、その森を離れました。すると、不思議と怖い感覚はすっと消えていきました。神社の本殿を見て回って、周りを散歩して、夕暮れ時に帰りました。
不思議な感覚
「空気が変わる」とか「何か気配を感じる」というのは、霊的なものでは無いかもしれませんが、確かにあります。それを体験しました。
幽霊(というか神様かな?)が私たち2人に何かしら訴えかけていたのかもしれません。
ただ、もしそうであっても、あの感覚は心がすっきりしていたからこそ感じ取れたものだと私は思っています。
毎日毎日、色々な事にストレスを感じ、睡眠時間も十分にとれず、最近は心に余裕がなくなっていました。筆者は思春期ですから、そういう事もよくあるのです。
心が窮屈になった時は、一旦すべてを忘れてしまえるような時間を十分にとることが大切だと思っています。そのために、私はたまに「散歩」に出かけるのです。
今まで、3,4回「散歩」をしに武田神社に行きましたが、やはり帰るころには不思議と心も回復しているのです。
「散歩」をしている間は、目に映ったものをそのまま受け取ります。ひねくれたり、相応しい言葉を探したり、面倒くさい思考は全て捨ててしまいます。「空がきれいだな」とか「あの野良猫はどこに住んでるのかな」と。
森に対して漠然と感じたあの感覚は、きっとそういう澄んだ心にしか受け取れないものでしょう。
心が澄みきった時、
「第6感」というものが手に入るのかもしれませんね。
読んでいただきありがとうございました。
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