8、歴史が一つの対象となる限りにおいて、歴史に組み込まれる錯誤もまた必然性を有する

芳子とサキエは睨み合っていた。

「アタシと喋っているんでしょう。」

空間に投げ込まれた尖った石のように、この言葉が全員の、
殊に芳子の胸に突き刺さっていた。

時として、いや、もしかすると一般に、
危機に陥った時こそ成長のチャンスとなる。

芳子はこの時を境に、もはや作家兼演出家そのものになった。

断っておくが、筆者の知る限り、芳子はサキエの恋心を露程も知らない。
以下に記録された芳子の言葉は、100%、演出家としての指示的要求から出たものであり、
かつまた、作家としての深謀遠慮に裏付けされていた。

まず、芳子は深くため息をついた。
それから、慰めるような口調でこう述べたのである。
「サキエ、本当にごめんなさい。
 私は知らないうちに、あなたを深く傷つけてしまっていたようね。
 あなたの方に目を向けられなかったこと、心から謝るわ。
 ごめんなさい。
 確かに、私はモブのことを愛しています。
 別に、あなたに隠すつもりはない。
 あなたほどの女優なら、それしきのこと、簡単に見破ってしまうことも理解できる。」

芳子の声に、だんだんと怒りがにじんでくる。

「でもね、サキエ、あなたの侮辱には看過できないものがある。
 あなたは、私に対し、責任を果たせていない、と言ったわね。
 この発言を、私は絶対に許さない。
 どうしてか?
 私は一度たりとも、演出家としての責任を疎かにしたことがないからよ。
 あなたが女優として全てを演劇に捧げてきたように、
 私は全てを本番の成功のために捧げてきた。
 ええ、断言できるわ。
 十分観てくれていません、だと?
 私の目を釘付けにできないような芝居をしていて、よく言えたな!
 私があんたを十分に見ていないのは、モブの方を見てたからじゃない。
 あんたの芝居が、全っ然面白くないからだよ!」
「芳子ちゃん、あんまりだよ。」
「モブは黙ってろ!」

この一言が効いた。
誰もが、芳子は公私混同していない、と思うに十分な迫力をもって言われた一言だった。

「サキエ! 今すぐ舞台に上がれ!」
サキエ、反応することができない。
と思ったのは本人だけで、気づけばいつの間にやら舞台に上がっている自分がいた。
「さあ、言ってみろ! オマエが『見てくれないよぉ』とメソメソ泣きついてきた、
 最後のシーンだ!
 今度くだらない芝居したら、2度と舞台に立てないよう裏から表から手を回してやる!
 アタシは内閣官房長官、犬飼権蔵の娘だ! やるといったらやるからな!
 これが貴様の最後の舞台だ!
 やれ! 今すぐ! さあ!」

「お願い! 殺さないで!
 私はその日本兵に懇願していました。
 この時まで、私は舌を噛んでも、
 あるいは日本兵と刺し違えてでも貞操を守り抜く覚悟でおりました。
 何でもする! 何でもしますから!
 言葉が通じなくとも、言っていることはわかったはずです。
 私は、媚態すら演じたのです。
 でも、果たしてその時、本当に私は全身全霊でその日本兵を嫌悪していたのだろうか?
 あの、本来愛すべきもの同士が演ずる欲望の行為を、
 軽蔑と憎悪の中で行えるものでしょうか?
 私の身は汚されました。
 そして最も私を苦しめるのは、私自身がその行為に加担したということです。」

「日本兵! 陵辱しろ!
 ・・・。
 娘! もっと感じろ!
 オマエの×××はそんなもんか?
 ヨガれ! バカ! マグロ! 太平洋に返しちまうぞ!
 ここが世界の中心なんだ!
 このクソみたいな世界のクソの全てをオマエの×××で受け止めるんだよ!
 その覚悟あんのか!
 下手くそ! 死ね! 
 貴様のその下手くそな演技で私の台本をレイプするくらいないらいっそ死ね!
 もっと感じろ!
 ・・・。
 そうだ・・・、いいぞ!
 男どもをおっ立たせるのに服脱ぐ必要はねえんだ!
 そうだ、そうだ!
 下品な声出すな! これはAVじゃねえ。
 よし・・・、よし・・・、よしよしよしよし!
 いいぞいいぞ!
 すごいじゃないか!
 オマエは美しい、美しいぞ女!」

サキエは舞台の上で、レイプされる南京の娘を演じている。
抵抗しながら、同時にエクスタシーに達する、という演出だった。
頬から耳までを紅潮させて、サキエの笑顔はとても妖艶で、切なく、
哀れみをそそる可憐さに満ちていた。
そして、サキエの目から一雫の涙がこぼれ落ちた。

「私、生きてるの。」

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