5、嘘が嘘として真実である場合

「私は確かに、嘘をついている。
 けれども、あなたに私を責める権利はない。
 あなたがたとえ、生まれてこの方、一度も嘘をついたことがなかったとしても、
 あなたのどの言葉よりも、私の嘘の方が正しい。
 私は犯されてない。私は犯されてなどいない。
 ・・・私を見て!」

「はいはいはいはい、ストップストップー。」
「またですか?」
「うーん、いいんだけどねえ・・・。」
「はっきり言ってもらえませんか?
 何度同じシーンをやっても、前に進めないんですけど。」
「ねえ、サキエ。あなた、自分の演技に満足している?」
「どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味。
 あなた、自分の演技に点数をつけるとしたら、何点?」
「それって、演者が応えることかな・・・。」
「いいから、言ってみて。」
「じゃあ、言います。私の演技は100点です。
 少なくとも自分で100点と言えないような演技、舞台上ではやりません。
 女優が出した100点の演技を、さらにいいものにするのが、
 あなたたちクリエイティブの責任でしょう。」
「全くその通りよ。」
「で、何なんですか? 嫌がらせ?」
「アハハ、かもね・・・。」
「ふざけないでください。こっちは真剣なんです。」
「じゃあ言わせてもらうわね。
 サキエ、あんたはレイプされたことがないのよ。」
「ちょっと、部長。言葉を選んでください。」
「モブは黙ってな!
 サキエ、そうよね。」
「レイプって、されたことないですよ、そりゃあ。
 それとも何ですか。レイプされたことのない女優は、このシーンができないってこと?」
「まあね。」

サキエは舞台を降りた。

「あんたみたいなパワハラ演出家とはやってられないわ。
 途中で降りるのはシャクだけど、ここまで意味不明だと一緒にものは作れない。」
「サキエ。」
「触らないで!」
「サキエちゃん。」
「モブ先輩は黙っててください!」

講堂を出る時、そこにいたダンスクラブのKが声をかける。
「いいの? 舞台、降りちゃって。」
応えず行きすぎるサキエ。

嵐の過ぎ去った、人気のない交差点のような沈黙。
芳子がKに気づいて声をかけた。
「いたの。」
「今日は早めに練習して解散したから観に来たの。
 少し話をしない?」
「そうね。」

芳子は部員たちに休憩を指示した。
どうせ、サキエがいなければ練習もできないのだ。

「みっともないところ見られちゃったね。」
「いいえ。あなたたちの真剣さに関心しちゃった。
 いつもあんなに激しくやりあうの?」
「毎回ってわけじゃない。でも、今回の芝居では大抵あんな感じ。
 サキエが出て行ったのは初めてだけど。」
「良かったら聞かせてくれない?
 サキエちゃんの、何が問題なの?」
「そうね・・・。」

芳子はしばらく考えてから応えた。

「美しすぎるのよ。」
「それは、つまりもっと醜く演技しろ、ということかしら。」
「舞台の上であえて醜くせよ、と言っているわけじゃない。
 醜くするよう指示すれば、それを彼女は上手にやるでしょう。
 彼女の演技は完璧なの。
 さっきのセリフだって、腹のそこから体を震わせて出しているのが分かったわ。
 目はうるみ、頬は紅潮して、振り乱す髪は本当に南京の被災者のようだった。」
「それでも何かが足りないのね。」
「何度やっても、彼女は必ず最高レベルで演技を再現する。
 それは見事よ。
 でもね、観客は、魂が入っているかいないかを見分けるのよ。
 残念だけど、彼女の演技にはまだ魂が感じられない。」
「わからないな。全く同じ動き、声の出し方、タイミングでも、
 魂が入っているかどうかは区別できるものなのね?」
「できる、と思う。」
「ふうむ。」

Kは、自分の経験からそれを想像しているようだ。

「なるほど、そういうことか。」
「わかる?」
「うーん、何となく、かな。
 あたしも時々、どうしようもなく感動する踊りを見るのね。
 そういう時って、反射的に、何がすごいのか分析するんだけど、
 全く原因がわからない時があるの。それかも。」
「へえ。」
「あたしは単に、まだ自分がその踊りの良さを見分けられるだけの
 レベルに達していないだけだと思っているけれど、
 もしかすると、魂に感動していたのかな。」
「ねえ、例えばだけど、下手な踊りに感動することはある?」
「それは、小さな子供が踊っているとかじゃなくて?」
「うん。
 芝居で言うとね、魂を感じる演技って、テクニックとはあまり関係がないの。
 どんなに下手な俳優でも、魂を込めて演じられた演技には、違いがある。」
「下手な踊りに感動したという記憶はないわ。
 もし、そんなことがあるなら、きっと気づかないでしょうね。
 さっきも言った通り、心打つ踊りを、あたしは分析している。
 自分より上手なものという前提でね。」

秋の穏やかな風が吹いた。

「どうしたらいいんだろう。」
「どうしてKが悩むのよ。」
「別に、悩んじゃいないけど、そういう問題って、どうしたもんだろうと思って。」

そこに、サキエが戻ってきた。

「サキエ。」
「サキエちゃん。」
「先輩、さっきは失礼しました。最後まで話を聞かずに出て行ってしまって。
 先輩の意見をしっかり聞くべきだったと反省しています。」

芳子とKは顔を見合わせた。
芳子が言う。

「こっちこそ、言いすぎた。ごめんなさいね。」
「先輩、良かったら聞かせてください。アタシの何がいけないんですか?」
「芳子、席外すね。」
「いいの、K、聞いていて。
 サキエ、あなたは完璧よ。何もいけないところなんてない。
 でも、私は感じるのよ。
 このままのやり方で進めて行っても、絶対にこの芝居は成功しない。」
「やっぱり、私の力不足ですか。」
「いい、サキエ、これは私の考え方だから、絶対に正しいというわけではない。
 あなたはこれ以上ない女優よ。あなたの力不足など、ありえない。
 でもね、芝居には、力や方法だけで到達できない領域というのがあるの。」
「偶然の領域、ですね。」
「あなたは、運任せ、というつもりで言っている?
 だとすれば間違いよ。
 でも、人間にコントロールできないものに任せる、という意味なら当たってる。
 芝居にはね、人間にコントロールできない領域があるの。
 なければならない、と私は考えている。」
「それはおかしいです。
 どこまでも完璧にすれば、理想の芝居ができるはずです。
 演出家が理想を描き、演者が再現する。
 芝居って、そういうものでしょう。」
「それが、あなたの考え、というわけね。
 その考えが間違っている、というつもりはない。
 ただね、サキエ。私が観たいのは、人間なの。
 舞台の上で、私は人間の生き様というものを観たいのよ。
 たとえそこに何らかの摂理のようなものあるとしても、
 舞台にいる人間がその摂理をコントロールできるようではダメ、面白くないわ。」
「面白くない・・・。」
「だってそうでしょう? 演劇なんて、所詮は嘘なのよ。
 じゃあ、演劇というものを突き詰めたら結局、拙い嘘と、完璧な嘘があるだけなの?
 そんなの、全然面白くない、と私は思う。
 どこまで行っても完璧な嘘なんて、観ていて面白くないわ。
 そんなの、鉄球が上から下に落ちるのを観ているようなものよ。」
「・・・。」
「でも、どうかしら。
 完璧を目指してついた嘘の中に、何か嘘でないものが生じる余地があるとしたら、
 それが真実よ。」
「つまり、未熟さを残せ、と?」
「それを未熟さと呼ぶなら、神になれない人間の未熟さ、でしょうね。
 その未熟さこそ、人間の真実だと私は思う。
 あなたのように、完璧を目指す人間にしか到達できない未熟さよ。」
「まだ、わかりません。」
「わからなくていいわ。でもいい? 聞いて。
 私たちが取り組んでいるのは、神への冒涜みたいなものよ。
 レイプされたことのない女優が、南京の被災者を演じるって、そういうこと。」
「先輩、本当に申し訳ないんですけど、アタシ、やっぱり先輩の言っていることが
 100%は理解できません。
 本当は、しっかり考えて理解する時間があればいいんですが、
 本番までもうあまり日がありません。
 どうか、教えてください。
 私は、今、何をするべきなんでしょう?」
「そうね・・・。」

また、秋の風が吹き抜けた。
さっきよりも、涼しく、心地よく。
じっくりと考えた末、芳子が言った。

「サキエ。あなたは完璧な準備をしてちょうだい。
 私は、あなたを知らない場所に連れて行く。
 あなたが完璧でないことを証明するために。」
「その場合の演技はやっぱり、嘘なのでしょうか?
 アタシは詰まるところ、完璧な嘘をつくために努力するべきだと?」
「K、どう思う?」
「あたし?」
「あなたの意見を聞きたい。」
「そうね。
 あたしはダンスをするから思うんだけど、
 ダンスの動きなんて、何の必然性にも裏付けられていない。
 いわば、嘘中の嘘よ。
 でも、確かに、何かに一致していると思うことがあるの。
 完璧なタイミングで、完璧なコレオグラフィをなぞっているのがわかる。
 あるいはお芝居にも、同じ感覚があるのかもしれない。」
「そのとき、あなたは嘘をついているの?」
「そうね。普段のあたしの言葉、性格、考え方からすれば、
 完璧なコレオグラフィをなぞっているあたしは、まったくの別人ね。」
「逆に、ステージの上のK先輩が真実だとは言えませんか?」
「そういう考え方に走りたい気持ちは、理解できる。
 でも、残念ながらそうだ、とも言えない。
 なぜって、今、こうしてあなたたちと会話している自分も、
 本当の自分だと思いたいから。」

風が吹く。
街灯に明かりが灯った。

「ステージの上で完璧なコレオグラフィをなぞっている自分を、
 今この場所で思い浮かべると、それは本当に、全く関係のない別人のようにも感じる。
 だけどね、サキエちゃん、今、ふと思ったんだけど・・・。
 今、ここにいるあたし達と、それから、
 ステージ上で踊ったり、演じたりしているあたし達が
 同一人物である必要ってあるのかな?」
「・・・どういうことですか?」
「舞台上で被災者を演じる時に、あなたは嘘をつくでしょう。
 でも本当はそこにあなたじゃなくて、別の誰かがいるとすれば?」

そこでKは、クスクス笑った。

「どうかしら、サキエ。
 何か、ヒントは見つかった?」
「そうですね・・・。ハア。
 何か理解が深まったという感じは、正直言ってありません。」
「そう・・・。」
「でも、これだけははっきりしました。
 あたしは、その答えを舞台の上で見つけるべきなのだと。
 先輩、講堂にもどりましょう。」
「えっ。」
「K先輩、ありがとうございます。
 アタシ達、練習にもどりますね。」
「うん、がんばってね。」
「ちょっと、サキエ。」

ほらほら、早く、と芳子を促し、サキエは講堂に入った。
ごめんね、と目礼して、芳子がサキエの後を追う。
講堂にもどる芳子とサキエの後ろ姿を、Kは真剣な眼差しで見つめていた。

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