7、秘められる歴史と、明らかにされた歴史

サキエと芳子、
二人は奇跡的に邂逅したと言っていいだろう。
犬飼芳子もまた、劇作家になるべくその人生を演劇の神に捧げてきた。

芳子の家もサキエに劣らず、裕福であった。
だが、華やかさにおいて、二人の人生は全く正反対だ。

サキエは女優になるべくして生まれ、本人もその運命を受け容れ、誇りとすらしてきた。
それは追い風だけを受けて進む高速船のような人生だ。
だが芳子、この数奇なる劇作家、演出家は、その人生の初めから現在に至るまで、
追い風というものを受けたことがない。

犬飼家は、政治家の家系である。
芳子は犬飼家に一人娘として生まれた。
母親もまた有力な政治家の娘で、犬飼夫婦はその野心においても、娘の教育においても、
ブレのない一貫した方針を共有していた。
その考え方は、いわば「君主による完全な自己中心主義」で、
自らが選ばれた人間、選ばれた血統、選ばれた家系であることを包み隠そうともしない
選民思想の極致というべきものであった。
犬飼夫婦は、自らの野心を達成することが、
広く万民の福祉に至る道であると本気で信じ、疑おうともしなかった。

このような家庭で、数多の使用人にかしずかれながら育つ早熟の知性、
その孤独、その虚しさはいかばかりのものであったろう。

反抗者は、親に反抗するときでも連帯と言うものの中にあるのが常である。
彼らは思想や物語を介して仲間と連帯し、連絡をとりあって協力しながら反抗する。

だが、芳子には連帯の道もなかった。
大豪邸はセキュリティ万全の高い塀に囲まれ、外からの侵入を不可能にしていたが、
また内側からの脱出も絶望的なものにしていた。
仮に一歩外に出たところで、自分は「犬飼さんとこの娘さん」であり、
「この世界で最も恵まれた人間の一人」であり、
また、「絶対に逆らえない存在」「決して敵にしてはならない存在」である。

未来永劫、支配者であることが約束された人間。
自分が関与できる領域を超え、はるか遠くまで周知徹底された自分への評価がこれなのだ。

幼い芳子は次第に、人に会うのを避けるようになる。
大人が笑いかけてくる。あるいは子供が笑いかけてくる。
その笑顔全てが、実際には誰に向けられているのかがわからない。
一番謎だったのは、それらの笑顔に対して、
自分もまたお手本のような笑顔を返していることだった。

一体この笑顔のやりとりは、どこで行われているものなのか?
なぜ自分は、笑い方も、謙遜の仕方も予め知っているのか?

完璧に振る舞う時、芳子は自分がすでに死んでいて、
ただ生きていた頃を思い出しているだけのような錯覚に陥った。

そうして、幼い芳子は次第に、人に会うのを避けるようになる。

そんな時に出会ったのが、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』だった。
小学6年の夏休み。
奇しくもこの時、芳子の年齢は、映画の主人公アントワーヌと同じ12歳であった。

これを境にして、芳子は映画にのめり込んだ。
興味のある作品を片端から買ってもらい、一つ一つ丁寧に観ていった。
これはと思う作品に出会えば、物語の背景や出演者や制作者についても調べ、
作品をより深く知ろうとした。
また、気に入った作品は何度も繰り返し観た。

親も、芳子が文化的な趣味を持つ事には反対ではなかったし、
道楽と呼ぶにしてもさして金がかかるわけではない。
また、勉強が疎かになるとか、目に見えて社会性が失われるということもなかった。
芳子にしてみれば、のめり込み過ぎたり、偏屈だと思われて親に反対されては
映画研究を続けることができない。
そのあたりについて、細心の注意を払ってのささやかな反抗であった。

反抗。そう、反抗だったのである。
本心を隠しながら、密かに自分だけの世界を持つ事。
連帯を断ち切られた芳子には、これが自分にできる唯一にして精一杯の反抗であった。

芳子は密かに、映画を撮る事を夢想し始めた。
孤独でやりきれなくなる時、芳子はよく映画製作の夢の中に逃げ込んだ。
考えようとしなくても、アイデアが勝手に動き始めるのだ。
やがて、完璧な演技、完璧な劇伴音楽、完璧な編集を施されたフィルムが、
芳子のまぶたの裏で上映されるようになった。
時に芳子は、どこにもないその映画に感動し、涙を流すのであった。
こうして、小学6年の半年が過ぎて行った。

中学に入り、芳子は早速計画の実行に取り掛かった。
中学校には演劇部がなかったため、自ら発起人となり、演劇部を立ち上げた。
映画を作るためには鍛えられた役者が必要で、その足掛かりとするためである。

これも天性のものであろうか、また、あるいは指導者の血統がそうさせたのか、
芳子指導の下、演劇部はみるみるうちに精強な演劇集団へと成長した。
1年の文化祭で『隻眼の提督』という台本を書き下ろし、まずまずの成功を納める。
そして、2年になり、かねて準備の映画制作を開始した時、
突然、演劇部は解散を言い渡された。
学校側の説明によれば、演劇部のあまりに過酷な訓練が学業に差し障るというものであったが、
それが言いがかりであることは誰の目にも明らかだった。
演劇部員は、これも芳子の演劇部運営方針の一環として「文武両道」が推奨され、
大体が成績優秀者に占められていたからである。

芳子は抗議した。
しかし、名家の子女とはいえ、所詮は義務教育下の一生徒に過ぎない。
結局は学校側の決定通り、演劇部は解散、部員はそれぞれの教室へと帰って行った。
ほとんどの部員は別の部に入り、それなりに活躍するものも多かったという。
恐らく、芳子に鍛えられた俳優たちは、それぞれの部で理想の部員を演じたのであろう。
だが、何名かは希望を失い、その後ついに学校生活を楽しむことができなかった。
(元演劇部員のうち、卒業までに2名が不登校になった。)

さて、この演劇部解散騒動の糸を裏で操っていたのが他ならぬ犬飼夫妻であることを、
芳子は薄々勘付いていた。
夫妻が演劇部を潰す理由ははっきりしている。
芳子の活躍が、夫妻の理解を超えてしまったからだ。

夫妻は、芳子が1年生の時に上演した『隻眼の提督』を観劇に行った。
イギリスの海軍提督、ホレーショ・ネルソンを主人公とする物語で、
両親は、この有名な指揮官を賛美する作品と期待して観に行った。

だが、夫妻の期待に反し、芳子が用意したのは、
ナポレオンの野望を打ち砕く強敵としてのネルソン像だった。

天才劇作家の片鱗をすでに遺憾なく発揮していた芳子とはいえ、
その作品を観た両親が何らかの行動にでるリスクを想定するほど大人ではなかった。
自由を求めて無我夢中に、ヨーロッパ全土、いや世界をも敵に回して闘う
ナポレオンへの共感を高らかに歌い上げる『隻眼の提督』は、
もともと老獪さにかけても一流の夫妻をして「芳子に謀反の動きあり」と思わしめるに
十分な出来栄えであった。

家に帰り、両親は珍しく芳子の作品を激賞した。
思えばこの時、芳子は両親の陰謀に気づくべきであった。
およそ政治家としてのキャリア以外、一切芳子に興味のない両親が、
それとは無縁の『隻眼の提督』に言及するなど、ありえないことだ。

だが、芳子の未熟さがアダとなる。
同級生からの評判はそれほどではなかったとはいえ、
知的で文化水準の高い教師たちからは、軒並みの称賛をえた。
確かな手応えを感じていたのである。
ましてや本番直後のことであり、
仮に芳子が十分な警戒心を持っていたとしても、
この時ばかりは成功の手応えにその警戒の目も幾分曇っていただろう。
両親の陰謀を見抜けなかったのは、仕方のないこととも言えた。

こうして、芳子は自分を褒め称える両親に素直な感謝の意をのべ、
「これからも勉学にも、部活動にも全力で邁進してまいります。
 未熟な娘ではございますが、
 何卒、変わらぬご支援の程、よろしくお願い申し上げます。」
と返答したのであった。
そしてこの時、すでに両親は演劇部解散を、
それも最も芳子にとってダメージとなるタイミングでの解散を
示し合わせていたのである。

「ねえ、帰らないの?」
「あんたは黙ってて。」
卒業式の後、芳子は誰もいなくなった講堂に戻ってきた。
金屏風と花と国旗に飾られた舞台。
本来であれば、この舞台で自分の映画が上映されるはずだった。
悔しさで涙が溢れた。

あれ以来、もう芳子の脳裏には、映画が夢想されることはなかった。
考えようとしても、できないのである。
犬飼夫妻の見事な手腕により、現実の映画製作だけではなく、
芳子の映画への夢さえも完膚なきまでに破壊されてしまった。
どこまでいっても、あの二人は私を邪魔をするだろう。
人間としてはともかく、政治家として両親は超一流、敵うはずがない。

涙を流す芳子に、モブがそっとハンカチを出した。
芳子はモブの胸に体を預け、声を出して泣いた。
誰も見ている人はいなかった。

ひとしきり泣いた後、芳子は「ありがとう」といってモブから離れた。
芳子の胸に、新たな決意の火が灯っていた。
良かろう。
二人がどこまでも私の邪魔をするのなら、
私はゾンビになって、どこまでも抵抗してやる。
たとえ指先一本、髪の毛一厘になっても私は抵抗をやめない。

校門の前には、犬飼家の迎えの車が来ていた。
「ねえ、モブ。
 高校へ行ったら、また演劇をするわよ。
 あんたも、黙ってついてきなさい。」
運転手に聞こえぬよう、静かにそう言って、芳子は車に乗り込んだ。

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