アメリカ南部から象設計集団のつくる色彩を思い出す
2019年夏、沖縄を訪れた。
ひとりで青いレンタカーを借りて戦跡を回った医大時代以来の訪問だった。学生時代のこの島の記憶は、皆、戦争に繋がっている。
それはひめゆりの暗い洞窟。静寂の資料館。美しすぎる海。孤独なドライブ。海辺で読んだエーリッヒ・フロム。灼熱。
医学生時代に1ヶ月ほど沖縄を旅した。
当時民俗学的なナラティブの世界に興味があって、地方の祭りや寓話を調べていた。ただの旅行の理由付けだったかもしれない。
いづれにせよ、湧出する好奇心を放し飼いする学徒の道程に、あの戦争を避けられるはずもなかった。一週間ほど本島を縦断するように旅して目ぼしい戦跡を周った。
それから離島に移った。確かまた飛行機を使ったのではないか。細かい途中の記憶は忘れてしまった。詳しくはまた書けるといい。
学生の自由な旅ではあったけど、折角だからということで大学の教授に紹介してもらい、島嶼医療を見学する機会ももらった。
島で同級生の悪友と集合して、細やかな病院実習を行った。
職員さんらも僕らの疼きを察してくれていたと思う、いつも早めに開放してくれて、夕方と休みの日はほとんど海にいた。
20代前半の僕らにとってその離島は職場見学だけで終わらせるには魅力的すぎた。本州と変わらない院内を飛び出すと、突然思い出したように僕らの生きる世界の自然を思い切り享受し、畏敬し、羨んだ。
自分たちがいた場所とは全く異なる色の強い世界に魅了された。
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2019年は打って変わって現実的な沖縄。
勤務の合間の限られた滞在だったが、数時間の空き時間を見つけて名護へ行った。
名護市庁舎 (象設計集団 1981)は、まさにあのときの極彩色の島の光景の続きみたいに強く光を反射していた。
花ブロックと呼ばれる白-紅色を交互に組み合わせたパターンによる日よけ、ブロックの積まれた独特な形のファザード。
それらがプリミティブなアジアの熱帯都市に溶け込んでいて好感を持てた。
同年3月まで、56体の瓦職人による手製のシーサー象が壁面にいたのだが、訪れたときには老朽化のため撤去されてしまった後だった。
それまでの画像を見たがとても味があるシーサー達で素敵だったので少し残念だった。
ただ沖縄らしさという意味で、市庁舎含めて名護の建築群を成す巨大なコンクリート建設は戦後に占領軍が持ち込んだ技術だということも忘れずにおきたいとも思った。
象設計集団とは(いい名前)コルビュジェの影響を直に受けた吉阪隆正の弟子たちによるチームだそうだ。
大学に戻ってから、他にも彼らの作品はないかとぼうっとインターネットを放浪していると、よく知った姿が視えた。
愛知県のとある白亜の図書館も「象」による作品だったとわかり、数分間身動きが取れなくなった。
それは、ついこの間、立て壊されたばかりの建物だった。
引きずり出される記憶は、各地を転々とし、根無し草だった幼少期の自分。
脳裏に強く残る鮮やかな色彩、それでいて閑静な空間。季節は夏。
愛知県北西、濃尾平野に織田信長もしばらく居を構えたという小さな山がある。
たった86mだが独立峰、その小牧山の近くにひっそり佇む小牧市図書館には、不思議といつも眩しく強い光が射していた。
いつも行くのは決まって夏休みのはじまりだった。読書感想文の本を借りに行くときだったからかもしれない。
記憶の中の図書館は、あらゆるグリーンの油絵の具をキャンバスにぶちまけたように強く鮮やかに彩られていた。
たしか、その頃の入り口には大きな大きな桜の木がそびえていた、と思っていた。
小さな自分にとってそれは真夏の森の中にいるようだった。
しかし、実際の写真を見ると小さな木が2本、申し訳無さ程度に植えられているだけだった。
背後に在る山の中の記憶と、図書館の光景との境界が朧気になり、相互に侵食し合っていたのだと分かった。
建物の佇まいは鋭く幾何学的である。一方で、いつも柔らかい光を帯びていてどこか怠惰な表情をたたえていた。
少し変色した白い壁には、地元の図書館にぴったりの少し荒廃した世界観と、古い記憶の上映にはもってこいのノスタルジーが同居していた。
夏のこどもたちの背中を押してくれるような、良い建物だった。
忘れたくない光景に、「光の都市」を追究し続けた異国の建築家から刻々と紡いでこられた都市への思いをみた。
知らず知らずのうちに僕らは巨人の肩にあぐらをかいていることがある。
失くなっていく遺産を想い、偲ぶ。
異国に移って暫く経つ。
無理にでも哀愁に浸ろうとするこの感覚はホームシックによるものだろうか。それとも。
名護市庁舎の全景を写した写真はGoogle earthより。
衛生写真で見てもギラギラと眩しいのがなんとも微笑ましい。
「沖縄はこうでなくちゃな」
と強がってみて一瞬、A市の空を仰ぐ。
広い、深い、まだよく知らない空。
切実にあの夏の沖縄へ、再訪を誓う。