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『EMPOWERED』及川卓也さんのまえがき全文公開

この記事では、2021年6月に発売された『EMPOWERED 普通のチームが並外れた製品を生み出すプロダクトリーダーシップ』に掲載された、及川卓也さんの「まえがき」を許諾を得た上で、無料公開させていただきます。
書籍の内容とフォーカスする問題について、的確にまとめられた熱い文章で、ぜひ多くの方に読んでいただき、広めていただければと思います。

まえがき


及川卓也

 日本においてもプロダクトマネジメントやプロダクトマネジャーという言葉が認知されるようになって久しい。外資系IT企業を退職した後、日本でのプロダクトマネジメントの啓蒙を有志とともに行ってきた私としても非常に嬉しく感じている。

 プロダクトマネジメントが注目を浴びるようになった背景には、プロダクトが事業や会社にとってより中核的な存在と認識されるようになったからだろう。世界時価総額ランキングを見ても、トップを占めるのはプロダクト企業だ。ニュースを賑わす成長著しい新興企業の多くもプロダクト力が強い。テクノロジーを駆使し、価値観の多様化する世界において成功するにはプロダクトマネジメントが必須なのだ。

 本書の著者の1人のマーティ・ケーガン氏はプロダクトマネジメントの大家として日本でも知られる存在だ。彼の書いた『INSPIRED』(日本能率協会マネジメントセンター、2019年)はまだ日本にプロダクトマネジメントに関する書籍が多くなかったころ、それこそバイブルのように読まれた。彼は2019年には来日し、私が運営にも関わるプロダクトマネージャーカンファレンスの基調講演も行っている。

 彼が前著『INSPIRED』で表したことは、優れたプロダクトの生み出し方だ。プロダクトマネジャーに向けて、顧客に求められるプロダクトをつくり出す方法をレシピのような形で具体的に解説した。書籍の中では組織と人についても触れられていたが、あくまでも対象はプロダクトだった。

 しかし、実際には良いプロダクトは良いプロダクト組織からのみ生まれる。良いプロダクト組織が良いプロダクトを生み、そして良いプロダクトを生み出すことで組織はより良い形へと進化する。プロダクト組織には、この2つの相互作用が必要だ。

 本書『EMPOWERED』はこの良いプロダクト組織を作るための原理原則から具体的な手法までが詳細に書かれている。著者はマーティ・ケーガン氏に加えて、彼がファウンダーであるプロダクトづくりを支援する団体SVPG(Silicon Valley Product Group)のパートナー、クリス・ジョーンズ氏だ。彼らが多くの企業や個人に支援する中で見出した共通課題をいくつかのテーマに分類し、それぞれについてのあるべき姿とそこに到達するためのステップを述べている。
主な対象読者はプロダクトリーダーだ。本書の中でそのものずばりの具体的な定義が示されてはいないが、プロダクト組織に対して一定以上の権限で影響力を行使できる、プロダクトマネジメント組織やテクノロジー組織のマネジメントポジションを想定しているものと思われる。もし読者の皆さんの会社にCPO(Chief Product Officer)がいれば、その方のことだ。

 著者たちにより分類された多くの企業が抱える課題は次のとおりだ。

 ・テクノロジーの役割
 ・コーチング
 ・人事
 ・プロダクトビジョン
 ・チームトポロジー
 ・プロダクト戦略
 ・チームの目標
 ・他部署や経営幹部との関係
 ・チームのエンパワーメント

 彼らが挙げる課題は私が日本企業への支援を通じて感じている課題と同じだ。残念ながら、まだまだテクノロジー、特にITに関しての日本企業の無理解は甚だしい。日本はかつて技術立国としても知られていたし、製造業は現在でも世界トップの水準だ。しかし、ことITとなるとハードウェアとしてのプロダクトのおまけのように考えられている。設計から製造という工程で手戻りが許されないハードウェア部品と異なり、実体が無いものだけに融通が利くと思われるのか(実際に利くのだが)、常に設計ミスでできた穴をふさぐような機能を押し付けられるということも聞く。

 私は拙著『ソフトウェア・ファースト』(日経BP、2019年)でも書いたが、今やITは人が行っていたことを効率よく低コストで行うための道具ではない。ITでないと実現できないプロダクトが世の中を大きく変えているのだ。ITを中核ではなくコストと考えていた企業が積極的にアウトソースした結果、SIer依存体質から脱却ができず、ITを事業に取り入れた企業との差がますます開いている。バブル崩壊後の日本経済の低迷の理由のひとつがこのようなITへの無理解だ。

 社内にテクノロジーチームを置いている場合でも、その位置づけを見てみると、「中核事業に奉仕する」形で存在していることも多い。私はそれを社内SIerと呼んでいる。これを著者たちは中核事業に従属する形と言い、典型的なアンチパターンであるとしている。「〜事業システム部門」というような名称の部署があったら要注意だ。社内の中核事業に奉仕するのではなく、直接顧客に奉仕する存在でなければいけない。また、プロダクトを推進するテクノロジー部門の管掌役員がCIOなのかCTOなのかを聞かれることがある。ここでも私と著者たちは同じ考えを持つ。CTOだ。些細なことかと思われるかもしれないが、CIOは従来の社内IT部門のトップであり、各事業へ奉仕することが求められる。顧客に直接奉仕することが求められるプロダクト開発のためのテクノロジーチームとはそもそも目的が異なることに注意しなければならない。

 これは人と組織、そしてその組織構成にも関係する。人は動機づけされて機能する生き物だ。動機づけされた人が必要なスキルとマインドセットを備え、チームスポーツのように協力しあい成果を出さなければ成功しないのが今日のプロダクトだ。

 昨今、デジタルトランスフォーメーションという名の下に多くの企業がITによる事業変革を目指しているが、その重要な要素である人と組織をないがしろにしている例を多く見受ける。しかし、私に言わせれば、技術の変革、事業の変革、そして組織の変革のうち、もっとも重要かつ難しい要素が組織の変革なのだ。極端と言われることを覚悟して言うならば、人と組織さえ変われば、他は勝手に付いてくると言っても過言ではない。

 日本では、いまだに終身雇用を基本とした人事制度から大きく変えていない会社も多い。新卒で入社したら一生その会社に尽くすことが求められるが、いまや企業の寿命の方が一般的なビジネスパーソンのビジネス人生よりも短くなることもある時代において、もはやこのシステムの破綻は明らかだ。この人事制度においてなによりも問題なのは、社員をすべてジェネラリストとして育て上げることだ。事業の中核を担う存在になったプロダクト担当者がジェネラリストとしての定期的なジョブローテーションの対象だということさえある。ジョブローテーションは明確な人材育成計画に基づいたものであれば有効であるが、プロダクトの状況を問わず、定期人事異動でプロダクト担当者が代わるなどは言語道断だ。

 さまざまな企業の支援をする中で、私は多くの企業に本当の意味でのマネジメントが不在であることに気がついた。マネジメントの役割は監視ではない。本書で言うコーチングであり、本書のタイトルにもなっているエンパワーメントだ。

 トヨタ生産方式の生みの親と言われる大野耐一氏の愛弟子、林南八氏は課長に昇格したころに、大野氏から管理とは何かと聞かれ、「数値目標を与えて、その結果を見て指導することです」と回答したら大目玉を食らったという。大野氏からは「君の言っていることは管理ではなく、監視であり、そういうことをしないでも社員が自発的に目標に達成するように仕組んでいくことがマネジメントの本質である」と諭されたという。これがエンパワーメントであり、本書の中で引用される、AppleやGoogleなどシリコンバレーの企業の経営陣のコーチだったビル・キャンベル氏のリーダーシップの言葉とも重なる(氏の言葉は是非本書の中で確認してほしい)。

 本書のタイトルにあるエンパワーとは果たして何か。英語の単語としては、「力を与える」という意味だ。つまり、本書は「力を与えられた」という状態を示す。力を与えられるのは誰か。それは人と組織だ。つまりは、プロダクト関係者が活力を得た状態を目指すことが理想の状態ということだ。

 私もよく言うのだが、組織の理想的な状態は、適切なスキルを持った人が適切な環境下で適切に動機づけされ、ひとつの目的に向かって進むことだ。目的が分割されるのは良いが、収益を上げることが目的の人たちと、顧客への価値を提供することが目的の人たちと、そのために誰かによって定義された機能を作ることが目的の人たちというように、組織が分断されてはいけない。分担と分断は異なる。分担とは同一の目的を達成するために各々の守備範囲を決めることであり、目的を達成するために守備範囲を超えることもある。ラグビーやサッカーならばポジションに関係なく、守るときは守り、攻めるときは攻める。ラグビーやサッカーのようなスポーツでそれが可能なのは、わかりやすいゴールが存在するからだが、同じことをプロダクトにおいても行う必要がある。

 私の会社では、理想のプロダクト組織を「プロダクト志向組織」と呼ぶ。これはメンバー全員がプロダクトの成功を考える組織だ。プロダクトの成功はプロダクトビジョンの達成、そして事業収益の最大化と顧客価値の最大化だ。これらを、例えば、事業サイドと呼ばれる人であっても顧客価値を考え、ユーザー体験を実現するエンジニアであっても事業収益を考えるというように、それぞれの持ち分を全うしつつも、良い意味でお互いの領域に越境していく。そして、自らのプロダクトに誇りを持ち、頼まれなくても知人や友人、家族に勧め、それだけでなく、飲み屋で隣になった人にまで自分たちが担当したプロダクトを熱く語るような、そんなプロダクトに対する情熱を持つ組織だ。

 本書で語られているのはまさにこの「プロダクト志向組織」のつくり方だ。

 さて、本書を日本人である我々はどのように読めば良いだろう。プロダクトリーダーがまだ不在なことも多い日本企業であるが、プロダクトリーダーを志す人やプロダクト力を高めることに使命感を抱いている経営層やマネジメント層に是非読んでほしい。

 その際に重要なのは自分に都合の良いように解釈をしないことだ。本書は米国人が書いたものであり、そのままでは日本企業に当てはまらないと思われるかもしれない。確かにそのとおりなのだが、原理原則は、先ほどのトヨタ生産方式の生みの親の大野氏の逸話も出すまでもなく、日本においても普遍的なものだ。日本流にとか、自社にあった形でと考えるのは構わないが、変化を抑止する形での解釈にならないように注意してほしい。

 特に意識して欲しいのが、テクノロジーの活用だ。ソフトウェア開発の内製化は目的でなく結果だが、最初から内製化を手段から外してはならない。事業の中核部分をアウトソースすることなどありえないことは当たり前だが、何故かこれがソフトウェア開発になると常識が通用しなくなる。テクノロジー活用のための内製化は待ったなしと考えるべきだ。

 また、成果が見えやすいフレームワークや手法、テクニックに流れることも気をつけたい。本書の中でもアジャイルに対しては厳しく指摘している。アジャイルを否定しているのではないが、アジャイルが結果ではないし、銀の弾丸でもないと。日本企業の生真面目さは時として方法論を崇め奉る形で発揮されるが、方法論の背景にある原理原則を理解しないと、ただひたすら儀式(儀礼化されたプロセス)を行うだけとなる。

 日本企業にとって、まさに今こそがプロダクト組織に生まれ変わるときだ。今までは、「Googleが」「Amazonが」「Appleが」と言われても他人事であったかもしれない。しかし、リアルな店舗を持つに至ったAmazonや、自動運転車を手掛けるWaymo(Googleの兄弟会社)、自動車業界への参入を表明したAppleのように、どの業界にとってももはや他人事ではない。今まで情報社会の出来事と思っていたことが自分たちの業界でも起き始めている。プロダクト力の強い企業がいつの間にか自分たちの陣地を脅かすようになってきたのだ。

 もはや一刻の猶予も許されない。日本企業にはそのくらいの危機感を持ち、自社のプロダクト組織への変革を進めてほしい。本書に書かれた原理原則は変革を進めるそんな皆さんの大きな武器となるだろう。

本編はこちらからどうぞ!
及川卓也(おいかわ・たくや)
Tably株式会社 代表取締役 Technology Enabler 
東京出身。早稲田大学理工学部卒。専門だった探査工学に必要だったことからコンピューターサイエンスを学ぶ。
卒業後は外資系コンピューター企業にて、研究開発業務に従事。現在で言うグループウェア製品の開発や日本語入力アーキテクチャ整備などを行う。その後、数回の転職を経験。OSの開発、ネットワークやセキュリティ技術の標準化などにも携わる。プロダクトマネジメントとエンジニアリングマネジメントという製品開発において軸となる2つの役職を経験。 
2019年1月、テクノロジーにより企業や社会の変革を支援するTably株式会社を設立。
著書『ソフトウェア・ファースト~あらゆるビジネスを一変させる最強戦略~』(日経BP)、『プロダクトマネジメントのすべて 事業戦略・IT開発・UXデザイン・マーケティングからチーム・組織運営まで』(翔泳社)。

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