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その 浅はかさったら・・・
今日、僕はすごく懐かしい気持ちになった。
僕は数字というものと決別している。
その決別の始まりを、僕は明確に覚えている。
それは小学校5年生の時に受けた県テストだったと思う。
おそらく、半分も分からなかったと思う。
結果が返却された時は本当に憂鬱だったし、帰ってから泣いた。
そのダメさ加減ったら、6年生になっても中学には入学してからも、
解決しなかった。さらに歳を重ねるごとに酷くなった。
泣きながら取り組んだりもしたけれど、ダメだった。
もちろん高校でもダメで、1年生の初めのテストでも赤点を取ったりした。
今でも昨日のように思い出すのが、1年生の2学期中間テスト。
テストが始まって問題用紙を見た時、僕は絶句した。
本当に「異世界に迷い込んだのかしら」と思うくらいには。
文字が、内容が、すべて入ってこなかった。
僕はどちらかというと真面目な部類に入る人間だと思う。
授業中に寝たことは無いし、授業中の寝方はいまだに分からない。
基本的にテストは最後まで戦うし、見直しもする。
でもそのテストは、本当に、人生で初めて、ペンを持つことすらなかった。
不思議な気持ちだった。すごく無力感に苛まれもしたのだけれど、
どこか自由な、ふわふわした心地がした気がする。
心なしか、窓から入ってくる風も心地よく感じられた気がする。
そんな気持ちがあったことを今日思い出したのだ。
いや、呼び起こされたという方が正しいのかもしれない。
僕が受けている講義の一つにすべての学部の学生が受けれる発展科目ある。
この講義は本当に、ほんとうに楽しい。
様々な専門を持つ学生の話を聞くことができるから。
でも今日は自分の教養の少なさ、
あるいは文化資本とも言えるものの少なさを痛感した。
みんなが話している時についていけない感覚がしたのだから。
置いてけぼりだったのだと思う。
久方ぶりのこの感覚。前にもあったなぁと感慨に耽る。
でもその時とは、違う、自分だとは思う。
今は、自分の足りなさを認識できるし、それを埋めたい意欲も十分だから。
一緒に話してた子らは、本当に尊敬できるし、僕もそちら側にいきたい。
だから憧れるのはやめておこう。理解することからは最も遠いことだから。
まだ時間はあるのだから。少しずつ、僕の中の蓄えを増やそう。
毎日、でも確かに。一歩ずつ。
歩みを止めないように。
明日は、ゴーヤチャンプルにしよう。
ゴーヤが安かったし、すごく食べたいから。
がんばろうとする自分に、ご褒美を。
曇天に憂一乗。 るい
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