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『大天使ボルサリーノが舞い降りた日、私は「カール・ルイ子」になった』〜前編

「カール・ルイ子」

それは私のあだ名であった。
ある一定の年齢のヒトにはピンとくるかと思う。

そう、あの「カール・ルイス」から名付けられたのだ。

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知らない方々の為に簡単に説明をしよう。
何故なら今、衝撃の事実が判明してしまった。。
なんとアメリカ出身の年下の夫が、
同じ国のこのレジェンドを
「知・ら・な・か・っ・た」のだ。
日本で「イチロー」を知らない様なものである。

私が「目に見えない椅子」から転げ落ちたのは想像に難くない。

話を戻そう。(笑)
かつてアメリカには、その「カール・ルイス」と言う伝説の陸上選手がいた。
(ご健在なので、正しくは「いる」なのだが)
「これでもかっ」と、言う程の金・金・金。
ミスターゴールドメダリストなのである。

そんな人物からあだ名を頂ける位、私は足が早かったのだ。

「遠くからみると足が回ってるよ!」

と何度も何度も言われた。

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ピーク時は非公式とは言え、50m走 5秒7を叩き出した事もある。

今考えると、確かに「ホラ吹き」と言われてもしょうがない程の早さであった。

オリンピック選手並である。

実際「オリンピック行けるかも?」

と気が迷った事もあった。

相当頭がお祭りだ。

そして高校の時には、陸上部でも無いのに陸上部の大会に出て表彰台にも上った。

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ついでに私は、笑っちゃうくらい運動神経が良かった。
「何、自慢?」と言われてもしょうがないくらいに。
でも自慢なのではない。

「事実」

だったからしょうがないのである。

でも

「そうだよ」✨

そんな風に言い返せなかった。

見掛けとは大きく違い、相当気が弱かった私は、その当時は特に本当に生き難かった。

「テヘペロっ」

って言えるぐらい、図々しさを持ち合わせていれば、こんなに生きるのに苦労はしなかったろうと今は思う。


まあそれはさて置き、
当時は、本当に恐ろしい程身体がスイスイ動くし、動くべき場所がはっきり自然と見えるのだから。
今考えると、

「COME BACK その能力」✨✨✨

である。

現在はと言えば。。
呼吸するので精一杯! (笑)

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しかし、確かに当時の私の興味は
人との競争というよりも、

「一体どうすれば 0.1秒でも早く走れるか」

だった。

一体私は本当に何になりたかったのか(笑)

大人になると
「ぬいぐるみにして持って歩きたい!」
と言われる程

「プロ選手並みに運動してた人」

の形跡は、跡形もなく消え去った。
だからなのか、当時のことを話すと

「気のせいじゃ無いの?」
「記憶間違いじゃない?」
「秒数間違ってるんじゃ無いの?」と、

とんだアフォ&ホラ吹き扱いである。

「違う。違う。嘘じゃ無ーい。」

どこかの歌手も歌っていた様に、嘘でもマボロシでもなんでもないのだ。

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。。。。

本当にお願いだ。
誰か当時の監督とコーチに聞いてくれっ。


でも残念っ!!
私の生き証人は、あっという間に天国への階段を一気に駆け上がってしまった。
相変わらず彼の足の早さには敵わない。。
なんて事だ。。。

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それからというもの、
私は中学と高校時代の記憶を

「抹殺」

した。
ただ「抹殺」と言っても、

自分で「抹殺したかった」のだ。

その痛みは身体の内側から、
何かあるたびに
「グイッと」
エグりながら顔を出す。
抹殺しようとすればするほど傷をエグってくるのである。
今その記憶の一部を蘇らせる時が来たのかもしれない。

それはやった事も無いソフトボール部にスカウトされた事から始まる。
本来私のデフォルトの「お花畑」な頭のお陰で

「なんか、キャッチボール面白そーう。キャッチボールできるし、お菓子くれるっていうし。花束まで貰っちゃったし」

で入部してしまった。
そこが私にとっての闇になるとは知らずに。

入った部活めっちゃ強豪‼️

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「オーマイゴッドっなんて事。。夢のカフェ巡り高校生活却下‼️」である。

私はそこでもビックリ運動神経のおかげで、2か月で既にセミレギュラーになったのだ。
そしてインターハイや東日本大会。
そこからだ。

「敵は本能寺にあり!」


明智光秀よ、お主本当によく言ったものよ。

何と一緒に初心者で入って「一緒に頑張ろうね。ルンルン」の子が
「敵」
だったのである。

オサレなドラマに良くあるやつであるっ。
真実と書いて「マジ」って読むやつである。

正直やっかみも本当に酷かった。
「そんな初めから才能のある人は、私の苦労はわからないのよ」と。

でもそのチームメイトは、何も知らないのだ。
私が

「そうでない人」

だった事を。
「ジェラシー」は盲目にさせ、人の話が全く入らないとは、まさにこのことだ。

そう、私の人生、幼少からずーっと運動神経全開では無かったのである。「あの人」に会うまでは。

後半へ続く。。。。。

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お読みいただき、有難う御座いました!!

SEE YOU NEXT STORY!! 

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