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自分を取り戻すリハビリ

しにたい、て何度思って口に出したことか。

少し重たい話だけど、私の周りには繊細で心の優しい人々が多いから、思い切り悩んで落ち込んですぐに消えたくなっちゃう儚い友達へ、そして私に対しても書いておこうと思った。

2月下旬。
書類を作ろうにも、文字がわらわらと逃げていく。重い動悸、倦怠感。吐き気とめまいで職場に行けなくなってしまい病院に行くと適応障害と診断された。お休みを1ヶ月もらった。家にいても外に出かけても一向に気持ちの浮き沈みが良くならずで、今日もしにたいと思っていた。こんな状態でどうやって社会復帰したらいいんだろう。また失敗するのが怖くて、またあの目を見るのが怖くて、考えすぎて気にしすぎな私がうまくやれると思えなかった。つらくて気を緩めると涙がじんわり出てきそうになるのを何度も繰り返してしまう。

どうしたらよかったのか。
いつも、そればかり考える。私は自分にずっと自信が無いから求められている自分を演じてしまうし、よく分からないのに元気よく頑張りますと言ってしまう。どう思う?と聞かれた時相手が喜ぶ方を答える。しんどくても無理して笑う。その行為の繰り返しが自分の首を絞めて自滅する。ばか。

家の中を掃除したり自分の部屋を片付けたり色々していたら気が紛れてよかった。生きた心地はしないけど、自分が生きている証みたいなものを生活がくれる。キッチンが好きだから何かしら作って食べてを繰り返す。

よしもとばななさんの本を読んでいると涙が出てきた。なんてやわらかくて強いんだろう。やっと本が読めるようになって嬉しかった。

サークルの練習に行くといつもと変わらずこうしよああしよと言いながら気のいい可愛いお友達と踊った。寒くても全然平気で、もっともっと踊っていたくなった。

雨の日に散歩をしたら、水溜まりの中に電灯がユラユラ揺れていてずっと見ていたかった。

そうして毎日を何とかやり過ごしていたら、ある日の夜中急に元気になった。それは深夜零時にカップヌードルを食べている時なんだけど、急にいつもの元気な私がニョキっとでてきた。なんだかワクワクして、少し楽しくて、音楽をかけなくても踊り出しそうな感じ。久しぶりにその感覚を得て、私は嬉しくて泣いた。焦らない、緊張してない、ありのままの私が久しぶりに現れて嬉しかった。おかえりなさい。

それからもただ自分のしたいことを気の向くまま、効率とか順序とか全く考えずにただ本能に任せて体を動かした。

電子レンジでご飯あっためてるのを待てずに洗濯物干して、食べようと思った頃には冷えてたり。お風呂掃除の為に栓抜いてそのまま踊って1時間経ってたり。自分のペースで生きるとこんな感じですけど、しあわせをちょっとずつ取り戻した。なにをしてもあーだこーだ言われる人生だったけど、もうなんでもいいな。私はできないことの方が多い人間なのだし、このまま世話好きな誰かの傍で一生懸命お礼を言いながら生きていきたい。ヒモとか居るくらいだし、働いてるだけマシだもん。いいこだね。

繊細で心の優しいみんなや私は、もっとわがままでいいのかもしれないよ。アレルギーがなかったら、猫と一緒に暮らしてマイペースに生きようね。猫が飼えないおうちの子は、いつでもうちにきて触りにおいでね。しにたくなったら呼んでね、一緒に遊ぼうね。

人並みの幸せとかはよく分からないけど、自分が美しいと思えること、大切にしたい気持ちだけは誤魔化しちゃダメだよ。

あなたの感性を愛している。また今度会った時は沢山はなそうね。

最後まで読んでくれてありがとう。またね。


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