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20230811✴︎Leo チャンビン

チャンビンさん、24歳の誕生日おめでとうございます!
未だに年齢表記あってるかドキドキしますね。

この世を照らし出す、太陽そのものような眩しさで、
そして容赦ない太陽より優しく温かいチャンビンさん。
今年もお祝いできてうれしいです。

このマガジンの趣旨については「はじめに」に書いた通りですが、
ぶっちゃけいうと、はじめにを書いた時から色々あって全然星について勉強できてないので、ちょっと(いやかなり)自信がないです。
ただ愛だけは有り余るほどあるので、とりあえず好きなところをただ書き出すだけになってしまうかもしれないけど、話し出してみようと思います。


ソ・チャンビン


生年月日:1999年8月11日
出生地:韓国京畿道龍仁市

太陽星座:獅子座

獅子座、と打ち込み検索して出てくる獅子座を象徴するキーワードは、
おおかた、かなりチャンビンさんに当てはまっているように思います。

もちろん星座だけがその人を構成する要素ではないですが、
チャンビンさんが獅子座というのはかなり「そうだよね」と思える要素ではあります。

獅子座を支配する星は太陽です。
だから、太陽の照るこの季節にチャンビンさんが生まれたことを知った時、
思わず笑ってしまいました。いや、うまくできすぎだろって。

太陽の光は平等で誰に対しても降り注ぎ、明るさや希望の象徴です。

時に美しく、時に強く、自分も周りも肯定する言葉を降り注がせ、
周りに自然と人が集まってくるチャンビンさん。



「自身」と「自信」に満ち溢れた姿は、まさに太陽。

その情熱は自分だけでなく周囲を、そしていつかは世界を動かすだろうと感じるほどの熱量があり、
まさにステージに立つために生まれてきた人。

実際にステージに立つ姿をみると、歌っていても踊っていてもラップしていても生粋のエンターテイナーだと思います。

ラップは言わずもがな歌声も綺麗だしリズム感も体幹もいいし表現力もあるし、何?
天全物与え男?

獅子座は「皇帝」「王様」と表現されることもよくありますが、
チャンビンさんは主催するパーティーで誰より率先して踊り、
皆を笑わせ、楽しませ、そして誰も置いていかない。

そんな娯楽の王様だと思います。


それは本当にそう


「I will(私は志す)」


獅子座のキーワードは「I will(私は志す)」

12星座を一つの魂が産まれ、生きて、また魂に還っていく物語だとすると、
獅子座というのは赤ちゃんが立って歩きだし始めるような段階だと思います。

「ここに行きたい」という意志が芽生え、そこを目指すために立ち上がる。

それは最終的に望む未来を創造するための、最初の一歩です。

私はStray Kidsを迷い彷徨いながら「自分を探す旅」をするグループだと思っています。

「歌手になりたい」とチャンビンさんが志したとき、
最終的にどこに辿り着くのかを決めていたかはわかりませんが、
歌手というその身一つで表現する存在になりたいという意志は、
そのまま「”自分”になりたい」という意志に通じているように思います。

ただ、「~したい」「~なりたい」と声を上げることは、同時にとても怖い事でもあります。
そうなれない、できない未来を人は想像することもできるからです。

そんな中で、はっきりと皆の中心で「声を上げる」人がいるというのは、
とても心強いことなのではないでしょうか。


だからこそ、Stray Kidsがデビューという自分を探す旅に出た時、
チャンビンさんの踏み出した一歩は周りを引っ張る力強さを持っていただろうし、
特に弟メンバーにとってはその背中がとても頼もしかったのではないかと思います。

こうなりたい、こうしたい、こう生きたい、そこに行きたい、あれが欲しい…
チャンビンさんの強い意志がStray Kidsというグループを動かす大きな原動力になっていて、
また、Stray Kidsというグループがチャンビンさんに強い意志を「抱かせ続ける」存在になってもいるのだろうと思います。

疲れて、迷って、立ち止まる瞬間があったとしても、
志しがあれば何度でも人は歩き出せるものだと思いますが、
Stray Kidsの未来というのは一人の少年がかつて心に抱いた志によって確かに今、
思い描いた通りに創造されつつあるのではないかと思います。


創造フレア(直観・情熱・創造性・未来✖️維持する)

チャンビンさんはStray Kidsで唯一「火」のエレメント(性質・価値観)を持つ星座の持ち主です。

そして、獅子座のクオリティ(行動の傾向)は不動の固定宮でもあります。
不動とはそのまま動かないこと、つまり維持することが行動の目的になります。


エンターテイナーとしてだけではなく、3RACHAの一員として作詞作曲ディレクションもする、
プロデューサーとしての面も持つチャンビンさん。

獅子座のキーワード、もうひとつの「I create(私は創造する)」もチャンビンさんを語るうえで
切り離せないものだと思います。

私は人を大きく二つに分けるなら、「人生にフィクションを必要とする人」「人生にフィクションを必要としない人」だと考えることがよくあるのですが、
チャンビンさんはどちらかといえば後者だと感じています。

言い換えるなら「誰かに頼らずとも自分でフィクションを生み出せる人」
「自分が誰かのフィクションになれる人」ともいえます。

だからこそ、チャンビンさんがフィクションを生みだすツールとして、
「音楽」があって良かったなと思うし、
チャンビンさんの生み出す音楽が人生にあってよかったな~と出会ってからずっと感じています。

火は生活を豊かにするために必要なエレメントです。
家族や愛する人をもてなす料理、疲れを癒すためのお風呂、
互いについて語り合う団らんのひと時を温める暖炉。

単なる生命維持の活動ではなく、「生きることを楽しむ」ための火。

それがチャンビンさんの持つ「火」に感じられます。


未来永劫、ソ家に感謝…


Stray Kidsは言葉遊びがとても得意なグループですが、
そんな遊び心はチャンビンさんの直観やユーモアに支えられているところも多分にあるのではないでしょうか。

直観とは、直感とは違い論理的思考に基づく発想を指します。

火を安定的に燃やし続けるためには、常に空気を入れ、新しい空気に触れさせ続ける作業が必要です。

常に自分をアップデートさせ、新しいものを取り入れ、
新鮮な思考を保ち続けることで「ひらめき(直観)」は生まれます。

Stray Kidsというグループが起こす「爆発」
その導火線を抜くひらめきには、チャンビンさんの火を燃やし続ける姿勢が大きく貢献しているのではないでしょうか。

ところで論理的思考と言えばチャンビンさんが数学得意なの、本当に最高ですよね(何、急に)


太陽は吼える

チャンビンさんの言葉が多くの人に届き、ミームとして愛され親しまれていること、
それだけでなく大企業のCMという大きな仕事にまでつながっていくの、
ファンとしては「そうでしょうそうでしょう」とにんまりほくそ笑みたいところではあるのですが、
そうなるのは単に言葉がキャッチーで面白く、独自性があるというだけではないと個人的には感じていて。

チャンビンさんの言葉が多くの人に刺さり、その声が広く大きく届くのは、
言葉が持つ意味を真剣に捉えていること。
そして、どんなに小さな声も聞き逃さないからなのではないかと思っています。

https://youtu.be/u2vTCh7mC4M


たかが言葉、されど言葉。
その言葉が本来持つ意味の意味に反して、カジュアルに使われることも言葉。
チャンビンさんは、そんな死にまつわる言葉をはっきり「嫌い」だと言います。

「死」というものをどう捉えているかは人それぞれなので個人的には必ずしもマイナスな言葉ではないと思っています。
正直私にとっては「死」に関する言葉というのは、色んな意味で挨拶のように慣れ親しんだ言葉であり、
多くの時間をその言葉と共に過ごし手を繋いできた、あえてこういう言い方をするなら「仲の良い言葉」でもあります。

それでも自分の大好きな人がこの言葉を嫌いだということは、十分にその手を放す理由になります。


最近ようやくその言葉が頭をよぎるときに疑問符や否定形が浮かぶようになったんですけど、
それって私にとっては結構、マジですごいことなんですよ。

だからこれからずっとチャンビンさんがこの言葉を嫌いで、遠くに置くもので、仲良くなる時が来ませんようにと願います。

もうひとつ、私が大好きなチャンビンさんのモーメント。


https://youtu.be/0R2LMY3qfyE


自分を「王子様」としたうえで、対になる言葉が「お姫様」とは限らない。
自分を好きでいてくれている「王子様」もいるかもしれない。

本当に些細なことだけれど、そこに気づける優しさ、
言葉を扱ううえでの繊細な手つきが感じられて本当に大好きなモーメントです。

結局この後どちらにも当てはまるような言葉は見つけられず話題が変わるんですが、
「そこにいることを無視しない」こと自体に救われる人も沢山いると思うんです。
少なくともここに1人いる。

チャンビンさんの存在こそが、「大衆に届く言葉を生み出せる人は、大衆の中に小さな声でも叫んでいる人や声にならない声を持つ人達がいることを知ってる人だ」ということを証明していると思います。


「昨日リハーサルのときに楽屋でバナナを剥いて食べようとしたのですが全部食べずにリハーサルに行かなければなりませんでした。バナナにすごく申し訳ない気持ちになって胸が痛みました」と告白。

https://mdpr.jp/k-enta/detail/3487554



바나나にまで申し訳ないと思っちゃう人だから…そりゃ반하나ざるを得ない。

https://youtu.be/M7tOL3EYJis


明かりを灯す人

太陽の光は平等だと書きましたが、それは望もうが望むまいが、
光を放ち、照らし出してしまうということでもあります。

光あるところに影があるというように、光の届くところには必ず影も生まれます。

光が届く範囲が広くなればなるほど、影も広がり、
光が強くなればなるほど、影も濃くなるもの。

アイドルが放つ「光」を「影響力」という言葉に置き換えてみると、
人気になればなるほど与える影響も大きく、広く、強くなります。

自分が放った言葉が、創った音楽が、誰にも届かないのではないか?ということも恐ろしい事ではありますが、
どこの誰にどのように届いているのかわからないというのもまた恐怖であると思います。

チャンビンさんは自分の持つ影響力を最大限良く使う術を知っている人だと思いますが、
同時にその影響力が自分の大切な愛する人に与える大きさや強さを怖がっている人でもあると感じています。

王様は孤独なものだ、と良く言いますが自分が放つ言葉が「強い」ことを知っていればいるほど、
相手のことを想って言っているつもりで、
その実常に相手を従わせたり自分の思い通りにしようとしてはいないか?と悩んだり、
自分はそれほどの存在なのかと疑ったりすることもあるのではないかと思うのです。

そんなふうに太陽が太陽でいられない時を思うと、
最近になってこう考えることがあります。

太陽も、この世界を照らしたくて照らしているわけではないのかもしれないと。

生まれたらそうだっただけで、そうであることを期待されるから応えているけれど、
誰が自分の声を聞いてくれるのだろうか。


何も言わない人=何も感じてない人ではないし、
眩しいスポットライトを浴びている人 =闇を抱えてない人ではないし、
いつも笑顔の写真をあげてる人が涙を流してないわけではない。

わかっているけれど、やっぱり見たいように見てしまうのが私という人間の弱さで、
私の世界を眩しく照らしてくれる太陽のようなチャンビンさんにただいつも明るく笑っていてほしいと願うのは、
ただそのままの意味だけではなく、「太陽は太陽のままでいてほしい」というエゴでもあります。

ただ、太陽が沈んで何も見えない真っ暗な闇夜のなかでも、
太陽そのものが消えて無くなってしまったわけではありません。

見えないけれど、昇る時を待ってそこにいてくれている。

真昼の太陽が放つ眩しさや明るさを覚えていなければ、
その光がくれる心強さや頼もしさを知らなければ、
人類は夜道を照らす街灯を生み出すことができたでしょうか。

だから、太陽が太陽でいられない時、
チャンビンさんが自分の弱さに直面したり、自分を疑う時、
自分の核が揺らいだ時、誰かに頼りたいと思った時、
孤独を感じる夜には、
これまでチャンビンさんが誰かに与えた光が、
代わりにチャンビンさんの行く道を照らしてくれるだろうと思います。街灯のように。

自分もそのうちの一本でありたい。
だから私も結局チャンビンさんのことを見たいようにしか見れないのだとしても、
「太陽のままでいてほしい」と思うのはやめて、
「太陽はどんな時も太陽のままだ」と思うようにしたいです。


陽るかけら


チャンビンさんは自分が対する相手の中に作られた「チャンビン」をできるだけ壊したくないと思う人だと感じています。

そのイメージが壊れてしまった時、創り上げてきたものが何の意味もないものになってしまうかもしれない。
その怖さを本能的に知っているように感じます。

どんなに大切にしていたお皿でも割れてしまったら元には戻らないように、
ひとつひとつはめてきたパズルのピースも崩せばあっけなくバラバラにできてしまう。


今更だけど僕はどう映ってんの?
作り笑いは慣れっこ 嫌になるよ


壊れた世界で
全ての愛に埋もれたいよ
孤独には感じたくないんだよ
ありのまま愛してくれる人が見当たらない

その「壊したくない」という思いは、もしかすると
ありのままの自分を見せていないというジレンマや、
「壊れてしまった後でも愛は残るのか」という疑問にも繋がるのかもしれません。

不思議なことに誰かを愛すれば愛するほど、相手のことを傷つける材料も増えていくんですよね。

そのかけらで相手を突き刺すこともできるし、どこに刺せば一番深く傷つけられるのかも解る。

だから、ファンというのは一番の支えで一番の脅威でもあると思うのですが、
この曲を聴いた時に多分私もスキズを好きでいておこる痛みを耐えることができることができるだろう、というよりも、
同じ気持ちだから、同じ怖さを知っているから大丈夫だと思いました。


たまに明るく笑うことも ためらってしまう

明るい灯のバッテリーが切れるのではないか

分かっている 僕は僕をすり減らす君が結局

僕を満たすということを

手に握りしめても痛くないということを

痛くないということを


『全ての痛みの中で愛によっておこる痛みが一番痛い。
それでも不思議なのは、痛ければ痛いほど、
それほど自分が誰かを愛していた(愛することができた)ということを感じられることで。
誰かを愛することがどうしても痛みの始まりなら、
痛くても良いと思える人を選んだ方がいい。

そうやって「誰か」と出会えた自分のことを今は誇りに思う。』


上の文章は私が前世の推しから離れて一年後くらいに書いた文章なんですが、
そのまた一年後くらいにスキズと出会って、
また「かけらを集め始めてしまう怖さ」を感じながら、
それでも良いと思えたのは、チャンビンさんの言葉のおかげです。

だから、「相手の中にある自分のイメージを守ること」「壊してしまうかもと怖がること」を、
決して恥じないで欲しい、というとなんだか上から目線かもしれませんが、
その怖さを感じるところまで含めてチャンビンさんという人の愛情深さや意志だと思うので…。

今までもこれからも私の中に「チャンビン」という人を創っていくことを選んで幸せだし、
大切にさせてくれてありがとう、ということです。


そちらの件、了解かしこまりました。



なんかこの調子で夏終わるまで話続けられそうなんですけど、
その前に誕生日が終わってしまいそうなので後はまた来年に残しておこうと思います!


夏生まれの獅子王チャンビンさん、改めてお誕生日おめでとうございます!

獅子メロ(獅子座の中で最高のマイメロ)
#줏대있게_창빈이_생일축하해
#ChangbinDayWithJutdae
#HappyChangbinDay


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