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「ピカピカのなにか」に大人になっても触れたいんだ

「〇〇くん、いますか?遊ぶ約束してたんですけど」

インターホンに話しかけている声だ。何人かで誘いに来て、どんな遊びをするか相談してるのも聞こえる。
まだまだ秋になりきらない気候だけど、子どもたちには関係ないらしい。

休日、家の周りではさかんに子どもたちの声が聞こえる。楽しそうに遊んでる声が響き渡る。なんだか楽しそうな声を聞いているとこっちまでどんなことをしてるのかが気になる。

無邪気に、遊ぶことや友達のことで頭がいっぱいな子どもたちを見て、そこから溢れでる空気の振動も心地よく感じてしまう。

そうだ。彼ら、彼女らのこの瞬間は輝いている。
きっとピカピカのなにかに包まれている。



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「やけに楽しそうだな」なんて思うんだけど、僕が大人になったからだろうか。懐古することも増えた。これも僕が大人になったからだろうか。

子どもたちの楽しげな声を聞きながら、「自分にもあんな瞬間があったんだよな」なんて思いつつ、PCの画面を眺める。

PCの画面の中には、事業計画や財務計画などの現実が並ぶ。これからの事業の展開やタスクといった僕にとっては、これがまさに日常をあわらしている。

「あーやってられへん。君は毎日幸せそうに寝てていいねえ。」

エクセルとにらめっこをし、眉間にしわを寄ってもう戻らないかもしれないような顔になると、ついつい愛猫に愚痴を吐いてしまう。

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「かっこいい大人になりたい」と大学入学直後に言い放った記憶がある。
どこでだったか、だれにだったか、なんでそんなこと言ったのかは覚えていない。

でも、この言葉に嘘はない。今でも心からそう思っている。
「どんな人のこと?」なんて無邪気に聞かれると困ってしまう。
だって、きっと僕も無邪気に「かっこいい大人になりたい」と言い放っただろうし、今でもそうだから。

「かっこいい大人になりたい」の中に、「自分らしくありたい」が含まれていることには最近気づいた。

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「NPOの代表」としての顔を前面にマーケティングをして、生きていく方がきっと法人としても、個人としても合理的なはずだ。

残念なことに僕は「NPOの代表」という顔があんまり好きではない。
誤解を招くかもしれないけれど、「現在のNPO業界の代表というカテゴリ」に属したくない。

社会起業家という言葉が流行り、NPOやソーシャルセクターが認知されたとからこそ、「NPOの代表」には常にイメージが先行し、僕にもつきまとう。

その雛形に当てはめられている感覚があまり得意じゃない。

人なんて、複雑で、日々変化したり、変わらないところもあったりするものだと思っているし、僕もきっとそうだから。

***

「あ、雨や!めっちゃ濡れるやん!」

また子どもたちの声だ。雨にびちょびちょになりながら楽しそうだ。

「雨に濡れることすら楽しいやんな。同じことしてたからめっちゃわかる」

懐古する僕の毎日は、子どもたちと同じように毎日が輝いていないかもしれない。

「将来こんなことしたいねん!」

無邪気にそんなことを言っていた頃に思っていた自分とはかけ離れた仕事について、あの頃想像していた自分からかけ離れたかもしれない。

当たり前だけど、ピカピカのなにかに包まれて目を輝かせていた、あの頃の僕はもうここにはいない。

でも、大人になった僕はPCから溢れる情報に追われ、仕事に追われながらも、どこかにあるピカピカのなにかを今日も探している。

きっと僕が思う「かっこいい大人」は「いつもピカピカのなにかを探すのに夢中な人」だから。

今日も明日も明後日も、「ピカピカのなにか」を探し続ける。
きっとどこかにあって、きっと触れられる日が来ると思うから。

「アホやなあ、もう28歳やで」

なんて、別の僕の声が聞こえたりもするけれど、「ピカピカのなにか」を探して日々を積み重ねていくんだろう。

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