おちこんだりもしたけれど、僕はしあわせです。
2019年があと数十分で終わろうとしている。そんな時間にせっせとnoteを書いている。
僕の2019年は、大きな喪失から始まった。長年思い描いてきた「幸せそうな、なにか」を失った。そんな1年を振り返るには「幸せ」について考えてみるのが良い気がした。
「幸せ」について文章を綴りつつ、このnoteを1年間での振り返りとしようと思う。
心のどこかにあった不安さ、満たされなさ
僕の部屋は一軒家の2階にあった。広い家ではないけれど、姉2人と僕の3人それぞれに自分の部屋があった。
階下から両親の声がする。穏やかな声ではなく、なにかを言い争っているようだ。幼いながらにそう思った僕は耳を塞ぐ。
別の日。階下から声がする。母が電話をしているらしい。布団の中で静かに聞き耳を立てながら時計を見た。午前2時を回っている。どうやら警察からの電話みたいだ。なにかがあったことを察した。
一応、父の名誉のために言っておくけど犯罪はしてない。
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気づいた頃には保育園に通い始めていた。
覚えているのは園長先生だけになった保育園で図鑑や絵本をずっと読んでいたことだ。それも辺りが暗くなるまでずっと。いつも僕が帰るのが最後だった。
お母さんやお父さんが来る保育園の遠足。僕はいつも先生と手をつないでいた。母も父も仕事が忙しくて来れなかったから。幼いながらにみんなと違うことに寂しさを抱えていた。「仕事だからごめんね」という母の言葉を胸に強がっていた。
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そんなことが何度もあったんだろうけど、もう20年以上前の話だからぼんやりしている。
いや違う。きっと僕が時間をかけて記憶の輪郭を削り取ったんだろう。幾度となく、時間をかけて、粗く雑に削り取っていったんだ。
いつしか幼いころの不安さや満たされなさを記憶から削り取っていくようになった。
「幸せそうな、なにか」で自分を誤魔化し始めた
時間をかけて記憶の輪郭を削りとっていった。思い出すたびにまた削り取る。その繰り返しだった。
そして、その削られた記憶の輪郭に「幸せそうな、なにか」を貼り付けて誤魔化すようになった。
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大切な人と暮らし、いつか家族になる。そして愛すべきかわいい子どもができる。
お食い初め、七五三、入学式、運動会。そんな暮らしの中の一場面をカメラに僕はおさめていく。時にはそんな写真を家族みんなで眺めたりしながら、物心がつき始めた子どもたちに昔の話を聞かせる。
「あなたが小さい時はね、すごく人見知りでおじいちゃんたちが困ったんだよ」
「ここに遊びに行った時は虫を捕まえてきて、家に連れて帰るんだって言ってたね」
僕はそこでそっと微笑んでいる。
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幼い自分の不安さや満たされなさを否定するかのようにそんな想像を何度も繰り返した。
そうやって「幸せそうな、なにか」を追い求めた。記憶の輪郭を削り、隠していった。「絶対自分は幸せになるんだ」と何度も言い聞かせた。
「幸せそうな、なにか」を欲しがり続けた
模範解答のような「幸せそうな、なにか」をこれまでずっと思い描いてきた。それを疑ったことなんてなかった。「絶対自分は幸せになるんだ」と強く思っていたから。
その一方で僕が選んだ仕事は模範解答とはかけ離れていた。気づけば法人をつくっていた。「起業家」「経営者」「代表理事」という肩書きになっていた。
模範解答とかけ離れていってるはずなのに、それでも僕は模範解答を追い続けた。「幸せそうな、なにか」を自分だけはどうあっても得られると信じて疑わなかった。
おもちゃ売り場で駄駄をこねる子どものように「幸せそうな、なにか」を欲しがり続けた。
2018年春。僕は当時の彼女との同棲を始めた。模範解答への一歩目をなんとか踏み出した。思い描いた幸せにやっと歩み始めたはずだった。
遠くへ行ってしまった「幸せそうな、なにか」
手の震え。鈍い頭の痛み。ぼやけていく視界。まとわりつく倦怠感。
そんな身体を引きずってベランダに出た。涙を流しながらベランダの柵に手をかけた。そして、身体を大きく乗り出した。
「生きてるだけで人に迷惑をかけるならいっそ死んでしまおう」
「どうか明日が来ないでほしい」
「明日が来るなら自分で終わらせてしまおう」
そんな日々が続いた。「幸せそうな、なにか」のスタートラインに立ったはずなのに苦しい日々が続いた。
「いっそ世界が滅んでくれ」と強く何度も何度も願った。幸せな日々を送る人たちにとっては迷惑な話でしかない。でも心からそう思っていた。
そんなことを願っているうちに掴みかけたものは僕の手をすり抜けていった。
強い風に飛ばされるビニール袋のようにどこか知らないところへ飛んで行った。これから先、もう僕の元に帰ってくることはない。
満たされない自分を誰かで満たすことはできない
「幸せそうな、なにか」が手をすり抜けていってからもうすぐ1年がたつ。
僕は「幸せ」をわかっていなかった。
不安さや満たされなさの記憶の輪郭を削り取ってきた。そこに「幸せそうな、なにか」を貼り付け続けた。
そうやって何枚も重ねて貼っていくうちに、手をつけられないほどに大きくなっていた。
気づけば、目の前にはつぎはぎだらけのハリボテの怪物が立ちはだかっていた。
こいつは僕の不安さや満たされなさの塊だった。皮肉にも僕の満たされなかった思いや記憶を餌にして、20数年かけて僕が育ててきた。
きっと満たされさを埋めるために「幸せ」になりたかっただけだ。
体調を崩して、生活もままならない。仕事も思ったように進まない。そして、大切な人を失って初めて自分の勘違いに気づいた。
「不安さや満たされなさを誰かで満たすことはできなかったんだ」とやっと気づいた。
代わり映えのない日常だけれど
28歳にもなって、ようやく「幸せ」がわかってきたのかもしれない。
もちろん「幸せ」に絶対的な解答なんて存在しない。いつ何時も誰かが頭を悩ませてきた厄介なものだ。
「明日を自分で終わらせてしまおう」
「満たされない自分を誰かで満たすことはできない」
そう思ったからこそ、僕なりの「幸せ」の輪郭がやっと見えてきた。
PCに向かって仕事をする日々。子どもたちと一緒に勉強をする日々。まだまだ赤子のように脆く弱い法人。山積みの仕事と課題。
先は見えないし、泥水を啜って生きているようような感覚に襲われることの方が多い。
それでも、今僕は幸せだ。
「明日が来ること」が今の僕にとっての幸せの形
「幸せそうな、なにか」という虚像に踊らされ、満たされない自分を満たそうとしてきた。
「幸せになりたい」と願うことは今でもある。でも、今はそれが目的ではなくなった。
「幸せ」は些細な日常の積み重ねでしかない。きっと僕にとっての「幸せ」は結果論なんだろう。
代わり映えのしない仕事に終われる毎日。友人とのくだらない電話。立ち飲み屋でのおじさんとの話。気になる人からのLINEの通知。
派手さはないけど、日常のひとつひとつに愛おしさを感じられる。
そんな毎日があるから生きていることを感じられる。
明日が来るかどうかはわからない。でも「明日が来ること」を強く願う。
「明日が来ること」がこれからも積み重なっていってほしい。何気ない日々の積み重ねが今の僕にとっては幸せそのものだから。
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