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続けるには付加価値が無くてはいけない

 2023年2月1日(水)。11時13分。休みの日。

 ずっと部屋に引きこもっています。ツイッターのスペースで無作為に語る相手や、相談する相手を探してはいけないのかなと思いました。

 色々な人がいるのが当たり前で。自分と話が合わない人がいるのが当たり前で。自分思い通りにならないことが当たり前で。自分の都合通りにならないことが当たり前で。

 相談がしたいのですが。相談する前にスペースが出来なくなってしまった。

 簡単に言えば、note のメンバーシップだ。正直、新しいことに挑戦するのは良いことなのかもしれないが、お金が絡んでいる。しかも、名言を集めるという、本当にやっていいことなのか、やってはいけないことなのか、良心とか法律とか、法律がよく分かっていないために、不安が大きくなっていく苦労を拭い去ることができない。

 不道徳のような気がするし、やっていいのか分からない。グリッドにしていいのかも分からない。しかし。このブログも、グリッドにしてからは、多分、正しいことなのだろうと思われる。

 今まで続いてきたのだから。これから先も続けていけば良いだけの話。

 【歌評】を載せるときも怖かった。note に Nightcore を載せることも怖かった。本当はダメなことなのかもしれない。何もしないほうが良いのかもしれない。

 【歌評】を載せて、カクヨム本部から「歌詞を一部でも載せることはやめてください」旨のメールが来た時には正直ほっとした。ちゃんとダメなことに対して「ダメ」と言ってくれる人がいることに関しては、実はとてもありがたいことなのだと思った。「歌詞を載せる」以外のことならば、なんでもしていいよ、と自由が保障されたかのように思えたからだ。

 なんでもかんでもダメ、という否定尽くしの、自分の考えしか持たない相手との会話ではなかったことも良かった。正直、「何もしないでください」という人生に、とても絶望感を抱いていた時期がとても多かったために、「自由になんでもしていいよ」という考えは、自分を精神障害から救ってくれたかのような、そんな気にしてくれた。

 「危ないときは守ってあげるから」。そんな信頼関係を繋いでいけるのが、一番いい人間関係なのかもしれなかった。

 こんにちは。井上和音です。

 note のメンバーシップが通ったことは、note から「何をしてもいいよ」という担保が得られたことでもなんでもない、ということは、なんとなく気がかりで、本当に名言をたくさん載せていいのか。本当にやっていいことなのか。分からなくなる。

 「やっても大丈夫だよ」という言葉一つで、グリットへと変わるものだが、人によって「やっていいこと、悪いこと」の基準は変わっていく。特に、言ってはなんだが、特に考えることなくただ従順に生きてきた人などは、「やらないほうがいいよ」で否定で貫徹してしまうと思っている。

 「やっていいんだ」という自信さえ貰えれば、グリッドになる確率は上がる。特に、「名言大図鑑」とメンバーシップの名前を変えて、──『』──の位置をどこにするのか、文章の見栄えをどうしたら皆に伝えることが出来るのか? そういう、正直、グリッドとは《《どうでもいいこと》》、逆というか、深く言えばグリッドからしたら邪魔者でしかないもの。そういうことに気を取られているうちは成功も何も、それ以前に続けることが出来なくなるだろうと思われる。

 大事なことは雑でもいいから続けることであって、質ではない。これが本質だと思われる。

 いい小説を書くよりも、ただの統合失調症患者の考えている駄文を続けていく。そちらのほうが価値があると、勝ちがあると信じている。

 何が言いたいかというと、何をするかよりも、どれだけするかのほうが、価値を決めるのは他人であるので、たくさんの判断材料があったほうが絶対に成功する確率は上がるのだ。上がるはずなのだ。自分は成功していないけれど。

 しかし。メンバーシップが通ってしまったことで、お金が関係することで、人は豹変する。自分がそうだから、大半の人もそうだろうと思われる。ちゃらんぽらんな考え方で、お金に関するトラブルの発生源にはなりたくない。面倒だと思う。そう。面倒。稼げたらいいね、くらいの気持ちしかないのに、多大なる時間をかけて、しょうもないことで時間をたくさん消費してしまう未来を自分は臨んでいない。「法廷で会いましょう」とか言われたくもない。

 お金は欲しいけれど。お金よりも時間のほうが大事だし。グリッドを延々と続けられることも、それこそが本当の幸せのように感じるのだ。

 好きなことを好きなだけ。やりたいことをやりたいだけ。そこには苦痛や苦労や、他のことは何もしないという、ある意味で人生の多くの選択肢を捨ててしまうという結論にも至ってしまうのだが。それが幸せへの一つのヒントなり、答えなのかもしれない。

 グリッドをやり続けること。それでお金が得られますか? 幸せになる未来は築けますか? お金になるかどうか分からないけれど、やりたいことをやった後の満足感って得られますよね? それだけでいいんですか? 多分、良いんだと思います。

 変化が少なすぎる人間なので、ちょっとした変化が怖いのです。

 「こんにちは。年賀いやがらせです。2000字を超えたので終わろうかと思いましたが、言いたいことがあったので出てきました。

 グリッド、グリッドって言っていますけれどね。井上さん。グリッドにも何かしらの付加価値が無ければ、グリッドになることは無いのですよ。大学生時代に散々経験しているかと思われますが。

 毎日の日記みたいなのを投稿し続けているのは、《《統合失調症患者が、》》毎日日記を投稿し続けていることに多少なりとも意味がある、と心の中で思えているから、続けることが出来ているのです。お金にならなくても付加価値が付いているから続けることが出来たのです。

 それで、今回のメンバーシップなのですが、《《お金が貰えるかもしれないから、》》続けることが出来るのかもしれないのです。これもグループに例えてみたら、付加価値に過ぎません。ただ、お金というのは、誰もが欲しがるもの、以上のトークンとしての価値があるから危険なのです。同じ付加価値でも、人によってはすごく怒る人も出てくるでしょう。お金というのは、全人類に共通する欲しいものの一つですから。光熱費、食費、ライフライン。全てがお金と代替可能な状態なのです。それを不正な状態で得ようとしている人がいたとしたら、それは文句どころか、法的に罰してやろうと思う人が出てくる可能性もあります。

 唯一の相談相手である、ソーシャルワーカーさんに相談してみるのも一つの手だと思います」

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