京都での生活を少しずつ忘れようとしている。
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タイトルは「朝起きた時に少し悲しくなった。」にしようかと思います。
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今日は休日だ。そのためか、昨晩の夜は音楽を聴きながら眠りについた。
音楽を聴きながら、ふと思った。「京都での一人暮らし時代の記憶が薄れてきている」と。
眠れないからといって、朝五時に船岡山に朝焼けを見に行ったり、統合失調症になって全てが暗号のように見え、警察に連行され拘置所に連れていかれた後、どこだかわからない施設に入れられ、金属の扉の中に入れられ、窓もなく、外から鍵を付けられ、完全にひとりぼっちになったこと。
閉鎖病棟内に出られるようになってからは、面識のない人々と共有生活を余儀なくされたこと。入院先がK大病院だったので、施設的はまだ、地元の施設と比べれば充実していたこと。
いきなりの出来事だったので、「自分は選ばれた」とどこか特別な自分でいたこと。普通の大学生では閉鎖病棟など体験することは無いだろう。
まさに、碇シンジ君状態になっていた。全てをあきらめ、しかし、現実がまさに神秘的な状態になっていた。
その頃の、自分はもういない。
どころか、もう忘れようとさえしている。
覚えていることは、テニスコートが近くにあったために、病室からみえる風景が、緑の草原の中に、黄色いテニスボールが点々と転がっているのだ。蛍光色で、大きな蛍のように見えていた。神秘的な光景だった。
そんな中、一羽の鷹と出会った。
閉鎖病棟の窓から、鷹が舞い降りてきて、私をじっと見ていた。逃げることもせず、じっと見ていた。「ああ、やっぱり、巨大なシステムか何かで、私に絶大な権力でも与えられようとしているのかな。その仕打ちや試験でこのような閉鎖病棟に閉じ込められたのだな」と確信した出来事だった。この世の全てが、この先の未来までもが、全てレールの延長線上にあるのだと思っていた。幸せな勘違いは、大学を辞めるまで続いていた。
九州には、鷹はいない。京都で初めて見た。ソフトバンクホークスがあるくらいだから福岡には鷹はいるのだろうか。福岡には詳しくないので、そこらへんはわからない。
京都の一人暮らしと、今現在の暮らしを通じているのは、ウォークマンの音楽だけだった。一人暮らしの時には心に響いていた曲も、今では響かなくなった曲もたくさんあって、少し悲しくなった。逆に、一人暮らしの時には何とも思わなかった、歌詞の意味が、実家に戻って軽く絶望的な日々を過ごしながら、かなり刺さってくることに気付いた。「この歌詞はこういう意味だったのか」と、苦しい生活をしながら、思い知ったことである。
2022年5月になれば、統合失調症になり閉鎖病棟に入れられて四年が経つ。四年といえば、私が京都で過ごしたまるまるの年月と同じくらいになる。今でも少しだけ幻聴は聞こえるが、自分に対する特別感は地の底まで落ちた。大人は誰もが忙しく、誰もが望んだ人生を送っているわけではないことを重々知った。社会に支えられる側から、社会を支える側に立つということは、こんなにもきついことなのだとしみじみ知った。
淡々と、人生が変わっていく。または続いていく。ブログをしていて恐怖感が無くなったのも、人生が変わった証拠なのかもしれない。
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