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私は本当に10時間以上も拘束されて働きたいのだろうか。

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 タイトルは「二時間ゲームをして気付いたこと。」「ツイッターのアイコンを変えてからめっきり読まれなくなった。」のいずれかにするかしないかもしれません。
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 #コンパス戦闘摂理解析システムというゲームを二時間くらいプレイした。イレギュラーと呼ばれる期間限定のキャラを欲しいがために、二時間を費やした。結局イレギュラーは取れなかった。

 そして、思った。「この時間の使い方はブログ以上にまずいのではないか」と。
 思えば、統合失調症になってから三年近くこのゲームをやってきた。後はパズドラとポケモンGOだけをやってきた。月に600円くらい課金していた時期もあった。

 だが、簡単に言えばデータの塊であり、費やした時間は二度と戻ってくることは無い。まだブログのほうがマシのように思える。《《ブログが続けばの話なのだが。》》

 いとこが「暇ならブログやれば?」と提案してきたが、既にブログはやっている。絶対にお金が入らない、何の意味があってやっているのかわからないブログではあるが。

 例えば、実家が東京で、パートタイマーで、行きたいイベントなどにすぐ行けるような、土地的に恵まれた環境ならば、ブログも様々な様相を呈していただろうと思われるが、ここは九州の中でも田舎の方で、正直、福岡でも田舎ではないかと思っている。

 ないものねだり。
 私は一生、九州で過ごすのだろうと思われる。

 「有名私立大の哲学科に行き、就職活動中に統合失調症になり、実家に帰ってきました」じゃあ話にならない。というか終わったかのようなプロフィールだ。「哲学科に行き統合失調症になった」というと、神秘的なものを羨ましがる人は羨ましがるのかもしれない。中退したのは3年前の話になるが、いまだに根に持っている。

 というか、社会人のなかでもパートタイマーで働いていると、本当に何も面白くない。

 同僚のパートタイマーの中には人材というより「道具」として、必要な時には休暇でさえ、緊急で繰り出されることがある。それで時給900円くらいだ。

 その分、自分はマシのように思える。障害者というのは企業も欲しがるものらしい。従順で静かで、ある程度知能があれば必要とされる。考えてみれば今、この時間も正職員の方たちは働いている、というか職場に存在しているのだ。タバコとか打ち合わせとか、本当に仕事なのか分からないことをしながらも平日は確実に10時間近く働いているのだ。

 自分が何度も公務員試験の面接で落ちているのは「こいつは体力的に持たない」「こいつは何か別なことに夢中になっている」「こいつは理想論ばかり語っていて実現能力が無い」と思われてのことだろうと、たびたび思う。

 「受かるのは難しいけど、辞めるのは簡単なんですよ」とパートタイマーの人に言われたことがあるが、そんな無責任でいいのだろうか。

 私は本当に一日に十時間近くも働きたいのだろうか。
 私は本当に休みの日も拘束されて働きたいのだろうか。

 何も知らないから、判断することが出来ない。

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