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【科学哲学】次元について ~Newtonに掲載されていた次元うさぎと檻との関係について~

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 こちらの元記事は『哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき』内の『次元について ~Newtonに掲載されていた次元うさぎと檻との関係について~ 』(https://kakuyomu.jp/works/16816700426481165138/episodes/16816700426497361593)になります。
 文字数は、2617文字で1000文字程度で記事を書いているので、少し長く感じられるかもしれません。次元について、数学的なアプローチから実存哲学的なアプローチまでいくつかの視点で考察してみました。哲学のレベルは決して高くないので、気軽に読んでいただけると作者として嬉しいです。

 では、本文をどうぞ!

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 昔、Newtonという雑誌の、次元についての特集の中に、誰でもわかりやすい、うさぎとおりについての話を考えてみようと思います。

 インターネットで探してみましたが、Newton以前の大元の出典事項が確認できなかったため、Newtonを参考文献としてあげてみたいと思います。

 さて、ではまず1次元から。インターネットで探してみて、点、は0次元だという主張をされている方が多くて、あ、この、次元うさぎの考え方は違うのかな、と焦ってしまいました。しかし、ここでは次元うさぎを紹介したいので、『点、線は一次元』と定義して考察を進めていこうと思います。

 インターネット上では、『線は点が集まって、座標軸一つを創るので、点は一次元である』という論調がありましたが、これは論に値しないと思います。なぜなら質量のない、点、は、いくつ集まったところで、線、になることなどあり得ないからです。

 イメージとしては、点、と、点、が二つ集まったところで、二つが合体し、しかし二つとも質量を持たないため、二つの点が合わさったところで、また一つの点に戻るだけです。

 線、も同じです、一次元上で、二つの線が重なり合ったところで、二次元上の、平面を持っていない、線、は平行に交わる以外に、交わる手立てを持っていません。そして、その二つの線は、二つあった線が一つに集約され、また一つの線として残るだけです。

 この、二つの、点、と、線、は同じ性質を持っていると考えられます。なので、僕としては、点、を0次元ではなく、線と同じ性質を持つ1次元として解釈しようと考えます。

 というか、元々高校数学で、『一次元は点と線』と習っていたので、0次元を考えることを、まず知りませんでした。座標空間上の話に限定すれば点というのは、座標空間上の、原点、というように線の上に存在するものだと思います。

 ちょっと話がずれましたね。

 とにかく『点と線は同じ、一次元空間に存在するものだ』という定義で話を進めていこうと思います。

 そして、本題の次元うさぎと檻についての話に移ります。

 これから先の話は、例えば、の話です。一次元にうさぎは存在し得ない、などと言った批判は避けてください。概念上の話と思って読んでいってください。

 例えば、一次元上に、一次元内しか動けないうさぎがいたとします。

 線上に一匹、点としてうさぎが存在しているところをイメージしてください。

 そのうさぎに、檻を作って閉じ込めようと思います。その檻もまた、一次元上に存在する檻なので、点でできています。

 直線上にうさぎがいて、それを閉じ込めるには、うさぎの、前と後ろ、二つに、檻と言う名の点を打てば、その直線上しか動けないうさぎは、檻によって閉じ込められている状態になります。

 直線上を上下にあたふた動いているうさぎを想像してください。

 しかし、ここで、うさぎを二次元に行動できる能力を与えてみたいと思います。二次元は言うまでもなく、平面、です。

 今まで直線上しか動くことのできなかったうさぎは、直線から外へと動くことができるようになり、見事、一次元上の檻から脱出することが可能になります。二次元を知ったうさぎは、直線上に縛られることなく、直線から離れ、一次元上の檻の意味を無くすことに成功するのです。

 では、これを、二次元上に次元をあげて考えてみたいと思います。

 平面上に、四角く囲った、新しい檻、二次元檻を作ってみましょう。

 二次元、すなわち、平面上でしか動けないうさぎにとって、これはまた檻になります。

 しかし……、もうお気付きの方もいるかと思います。そのうさぎに三次元、すなわち立体的に行動できる能力を与えてみたいと思います。この二次元から三次元、すなわち立体的に行動させるために、たとえ話として、うさぎを使っているのだと思います。

 さあ、お気づきの方もいるでしょう。その三次元の行動能力を備えたうさぎは、平面上にある四角い檻を、軽々とジャンプして檻から脱出することに成功します。

 偶然かもしれませんが、うさぎと檻の関係は帰納的に、《《うさぎの次元が一つでも上がれば、次元の低い檻の中から脱出することができる》》ようになっているのです。

 では、三次元うさぎは三次元の檻に閉じ込められた際に、どのようにして、檻から脱出することができるようになるのでしょうか。

 うさぎに四次元の力を与えてみましょう。

 四次元とは何か? 色々な説がありますが、この次元うさぎと檻に関する思考実験の中では四次元は、時間、となります。

 簡単なのです。三次元うさぎが三次元の檻の中から脱出するには、檻に入れられていない過去の時間まで戻るか、檻から出される未来の時間まで、うさぎの恣意的なタイミングで動くことができれば、すなわち四次元うさぎに変身すれば、三次元の檻から脱出することが可能になるのです。

 先ほど、帰納的、という言葉を使いましたが、k(次元数)=4までしか考察できていないので、k=n、について正しいかはわかりません。

 じゃあ、四次元うさぎを閉じ込める四次元檻はどうなるのか、ということになりますが、四次元檻はうさぎが生まれてから、死ぬまで、うさぎの一生涯を通して檻に入れることになります。

 ここで問題になるのは実存(うさぎがうさぎであった時間)になります。先ほど四次元は時間だと申し上げましたが、うさぎが生まれる前に戻れるのか、そして、うさぎが死んだ後に未来に行けるのか、そこが問題になってきます。

 実存概念、すなわち自分が周囲を認識し、意識できる状態の中の時間、と、実存が途絶えた後の時間の概念が同じなのか? という新たな問いが出てきます。本当に、自分が生まれる前から時間は存在し、ちゃんと流れていたのか? それとも自分が生まれた瞬間に、時間が初めて生まれたのか? 自分が認識して初めて時間が生まれたのか? は本当はわからないのです。

 四次元は、時間、と定義しましたが、実存と絡めてみるとまた面白いかもしれません。五次元檻はどうなるのか。五次元うさぎはどうなるのか。

 そもそも、四次元は、時間そのものなのか、それとも、実存的時間だけが四次元と定義することができるのか。それならば、五次元は実存的時間外の時間のことになるのか。

 哲学的アプローチで次元について考えてみると、数学的アプローチから考える次元とは、また違った次元についての発見があるかと思います。皆さんも思考実験を楽しみながら、哲学ライフをエンジョイしていきましょう。

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