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【論考】「専門家以外は口を出すな」という主張は正しいのか?

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 特定の個人や団体を誹謗中傷する意図は全く無く、日本の一市民としての論考というのを考慮してお読みください。
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 友人とLINEをした。その中で私のブログも久々に読んだ、ということも告げてくれた。「読んでほしい」と催促したわけではなく、pv底上げのために読んでほしい、と頼んだわけではないことを、初めに注意しておく。pvかさましの不正などを頼んだ依頼でもないことを、ここに注意書きしておく。友人は自分から私のブログを読んで、読んだ後の結果として、「久々にブログ読んだよ」と伝えてくれたのだ。

 そこで、【考察:ウクライナ情勢】なども読んでくれたと言っていたので、【考察:ウクライナ情勢】についての感想などをうかがった。そしたらこういう感想だった。ちょっとした一部始終を書いておこうと思う。(本人から許可は取りました。)
 
 『素人が書くべきではないし、書くべきならもっと調べてから書くべきだと思った。』
 『厳しいね』
 『これは日本人全体に思うんだけど、素人がウクライナ問題に口を出し過ぎている。』

 とのことだった。

 私の記事では最初か最後のところに☆☆☆で区切り、自分が専門家でもなんでもない、ただの一市民の考察です。または、論考です。と書いてあるので一応は問題ないとは思うのだが。

 素人が、社会情勢や国際情勢に対して素直に思ったことを、ネット上に書いてはいけないのか? と友人とのLINEが終わった後にふと思った。素人ではない「専門家」にしか政治や国際情勢、ないしは色々な話題に関して語ることは許される行為ではないのか? とふと疑問がわいた。

 「表現、ないしはそれに含まれる言論の自由」は日本国憲法において保障されている自由の一つである。中学生でも習ったものである。なので、「専門家」以外が文章を書いても別にいい。

 というか、むしろ、私はいわゆる「専門家」以外の人が、堂々と思ったことを口にする方がいい社会が育つのではないかと思う。普通に考えて、たとえ素人であれ、意見を言うことは社会の多様性や、進むべき進路の可能性を大きく広げてくれるものだと思っている。確かに、「専門家」以外の人が書いたものに関しては、まゆつば物の意見が多いのも事実で、それが社会を混乱させてしまうのも事実だ。なので私が【論考】や【考察】を出す際には、必ず、「専門家」ではないことを注意書きとして入れて、一市民の意見であることは強調して、意見や文章を綴っていくようにしている。

 逆に、「専門家」だけの記事だけがはびこる社会になってしまったらどうなるだろうかと想像する。「専門家」が言うから正しい。「専門家」が言うから行動する。こうなってしまっては、「専門家」が示す道のみを歩んでしまうし、各地に肩書を背負った「専門家」がはびこってしまうだろう。そしたらどうなるかは、古代ギリシアにおいて、人々を民主主義の中で混乱に陥れて、古代ギリシアの民主主義の衰退の要因となったソフィストを例に出せば容易に思い付く。素人が、素人であるが故の意見を潰したら、民主主義は衰退の一途をたどるのだ。「表現の自由」は民主主義を安定させて、衰退しないためにも必要不可欠な要素の一つであるとしか、考えられない。もちろん誹謗中傷などは「表現の自由」には当てはまらないのは当然であるが。

 これからも、思ったこと、感じたことは、「一市民としての考察、ないしは論考」という注意書きを入れてどんどん書いていこうと思う。それが、正しい道だと私は感じるからだ。

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