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note やツイッターのフォロワーを増やす合理的な方法は知ってはいるがやったほうがいいのでしょうか。※方法は書いてはありません。

──『雨垂れ石くらいならば穿つ』──
☆☆☆

 2023年10月14日(土)。12時36分。

 朝は早く起きれた。レンドルミン錠も2錠で充分に眠れた。

 アルクの中国語単語入門編を、アプリの音声と共に読んでみることにした。高校時代を思い出した。高校時代は高校が指定してきた駿台文庫のシステム英単語を使っていて、英単語を覚えるのに一番良い方法はCDを聞きながら覚えるということだったので、ウォークマンに音源を入れて、寝る前に100個ずつ聞いて寝るのが日課になっていた。

 そのうち、電車の中でも一人の時はシステム英単語を聞くのが習慣になっていき、電車の行きと帰りで100単語ずつ、可能な限りただ聞いていた。自分の英語が少しは得意になったと言えるのはこの習慣を一年間続けてくれたおかげだった。

 中学時代から高校時代になって英単語の数のレベルが違いますから。どうやってこの困難を乗り越えようかと考えた時に、結局は今はグリットと名付けている習慣化するしか方法は無かった。

 昔の自分は頑張ってくれていた。授業で英語の力が伸びたなど全く覚えていない。自分が成長したと思える事柄に関してはグリットで身に着けたことしか身になっていなかった。

 今も変わらず昔も変わらず。

 こんにちは。井上和音です。

 他にもグリットで何かしたっけと思い出すと、サッカー部でゴールキーパーをしていたので横っ飛びで倒れた後にすぐに起き上がれるように腹筋を鍛えていた。これもグリットに過ぎず、足にダンベルを置いて、テレビだろうと音楽だろうとを聞きながら、腹筋と側筋を鍛えるためにねじる腹筋運動を25回×4を毎日やっていた。ただ毎日やっていた。きつくてきつくて仕方がなかったというわけでもない。ただ息は上がっていて、腹筋運動をした後に飲む牛乳は美味しかった。多分、高校総体で引退するまで毎日やっていたので腹筋だけには自信があった。

 そういう毎日。

 とりあえず自分は何かしらの本で読んでグリットを身に付けようと思ったのではなくて、自分には才能など無いのだから続けるしか何かしらを手に入れる方法は無いと気が付いていたらしかった。

 コンサータ錠とか飲む前からそこそこは頭が良かったのかもしれない。

 今に話を戻すと自由に、ただ勉強をし始めた。昨日の『ブランド以外で大学に行く必要性が無くなった令和という時代。幼い頃から良いスマートフォンと良いパソコンと本を買い与える教育をさせるかどうかで子供たちの格差が拡がっていく時代になった。』


に書いたように、ようやく勉強できる基盤が出来たので、中国語の単語の勉強もグリットに入れるかもしれない。

 なんでこんな話をしたかというと、経験上勉強をすると小説は書けなくなる。馬鹿みたいな話が全く思い浮かばなくなる。なので「休日の日には異世界小説を書こうね」というグリットは終わりを告げる可能性が出てきたとそういうわけだ。

 多分、何も思い浮かばない。

 7万字くらいからきつくなるのかなと思っていたが、やっぱり7万字くらいからだった。何も思い浮かばなくなって小説は不意に終わる。残してはおくけれども小説が書けるかはかなり微妙な感覚になっている。

 思い付いたら書こうかなとそれくらいの気持ち。

 ブログを続けない理由にはならないけれども。

 ゲーム理論の入門書を読んでいた。「合理的な豚」の話を読んでいて、数学や経済学で用いられる「合理的」という言葉は完全性を帯びており、自分も「合理的」という言葉を簡単に使うことは避けてきた。合理的と言いながらほころびがあったら合理的の意味から逸脱してしまう。というわけで合理的という言葉はあまり使ってこなかった。

 合理的配慮はたくさん使ってきたのだけれど。

 「こんにちは。年賀いやがらせです。合理的と言えば note のフォロワーやツイッターでのフォロワーを増やす方法を知っているじゃないですか。何で井上さんはしないのですか。合理的に増やす方法は知ってはいるのに、なんとなく倫理観と面倒くささが入り混じって行動に移せないのでしょうか。

 お金の話になりますと、ツイッターなり note のフォロワーが多いだけで打った文章が読まれる可能性も高くなり書籍化に一気に近付くと思いますがどうなのでしょうか。こんなことを打っているとフォロワーが減りますね。あっ! 井上さんフォロワーが減ってますよ!」

 合理的にツイッターや note のフォロワーを増やす方法は経験上知っている。何かの本で読んだとかブログで読んだとかそういうわけでもなく、大学生時代に自分で考えて導き出した答えがあった。それを現実でやってみたら確かにフォロワーが増えたとそういうわけだ。

 合理的に行動するのならばツイッターのフォロワーを増やす行動をまた繰り返しやってみるのもいいのかもしれない。批判の的になるのかもしれないけれど。昨日、特に面白くもない note のアカウントのフォロワーが5000人を超えているのを見て、毎日継続とかは成功とかとは全く関係のないことなのだと知った。

 虚しいが、合理的に動いたほうが後々得をするのかもしれないという残酷な現実がそこにはあった。虚しいねえ。ところで私は本当に書籍化とかしたいのでしょうか。合理的に考えればカクヨムリワードでお金が入ってくるだけで私はもう充分満足なのですが。

 それを達成するために合理的にフォロワーを増やせと言われているのかもしれませんが。毎日カクヨムに何かしらを書くことは、どちらかと言えば非合理的なことを毎日やっています。特に合理的には意味などありません。

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