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12/1  真夜中に布団で太宰を思って泣いた

2019年は非常に、非常にナイーブに誕生月11月を過ごした。
毎晩布団でいろいろなことを考える。
例えるなら、自分の内部にどぷんと潜って、今までちゃんと面倒見てあげられなかった何人かの自分を引っ張り上げるような作業。
目を瞑って自分に潜る。ぶくぶく、ぶくぶく。
くらいくらい自分の底の方にはいろんなことが静かに眠っていて、こうやって自ら潜らないとそれらは見ることができない。
砂に埋まった小さな貝殻を見つけだしては拾って、一枚一枚裏返すような作業。

私は何者でもなく、
何も生み出していない、
とても無力な気がする、
これから何かできる気がしない、
…でもその私を愛してあげたい。

私は自分を見つめ直したい。
何を持っていて、
何が武器で、
本当は何がやりたいか。

あの時の母は辛かったろうな。
この環境では創作ができないと、泣いて叫んでいたおかあさん。
幼い弟のお腹に包丁を突きつけたり、台所でボヤを起こしたり。
私の寝込んだタイミングで部屋に入ってきて、わめき散らしたり。
あの頃深夜ラジオを聴きながら朝まで起きるのが日課になってしまってた私。
「やりたいことをやりきるまで、子供なんかうんじゃだめよ」
って、私に言わないでよ。
30すぎて生まれた長女に。
まさに、呪い。
おかげで私は今、自分のやりたいことと生活と、置かれている環境との間でもがいているよ。
私は本当にこれがやりたいことなのか、それともあなたの言葉から逃れられなくて”何かをやっていなければ”って思ってしまっているのかな。
”やりたいことや創作に没頭している” 状態が ”幸せ” なのだ、と、刷り込まれている?

でも今あの頃を思い出すと、
自分を助けたいより先にあの頃の母を抱きしめるビジョンが浮かぶのだ。
あの頃の母が今の自分と重なって見えて、
あの頃の母を抱きしめてあげたい、と思ってしまうのだ。

就活のエントリーシートかよ!とツッコミを入れたくなるくらいの自分の長所短所から始まり、さらに自分の底を、手でえぐってえぐって。
そして決まってあの頃の母との関係を思う。

長い長い”じぶんインターネット史”の中で、こういったことを書いたのは初めてだと思う。あんまり人にも話さない。
私ってば、やっぱりどうして”道化”な人間でして。
でもどっちも自分なんだよね。

23歳くらいの頃は道化の自分と、奥底にいる自分がどっちも存在してやっと一人の私という人間なのだということをまとめる、飲み込むのに非常に難儀した。
この頃まで無意識に道化一本で生きてきた自分が、自分の中に奥底の自分なんてものがあるぞ、ということにある日ふと気づいてしまって、どうして良いかわからなかった。

…なんとなく私は、周りの人よりこころの成長が10年ほど遅いような気がする。

このぐちゃっとしたヘドロ的感情はもう少し書くことによって昇華できるもんなのかもしれない。
わからないけれど、これを書くことによって、公開する事によって過去の自分が救われるかもって気がしていて、過去の自分を救うことによって、今の自分が元気になれる気がするのだ。



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