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それでも、まだ「東京」ブランドを信じるのか

長野県軽井沢町での娘との生活も気付くと3ヶ月近くが経過し、季節が変わっていました。緊急事態宣言の解除で経済活動も少しずつ再開しつつある東京に、間もなく私は娘と戻ろうとしています。その中で、私の価値観は長野での暮らしを通して音を立てて変わり始めています。「それでも、まだ「東京」というブランドを信じるのかー」。これは今、自分自身に繰り返し問いかけている言葉です。東京に戻る前、そんな思いを徒然なるままに書き留めておくことにしました。

ちょっと滞在のはずが・・・子連れ長野生活がスタート

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2月下旬、娘の幼稚園が休園になることが発表されました。私は元々リモートワーク中心で仕事をしていたこともあり、大きな焦りはなく、この時はまだ「数週間くらいで落ち着くかな」と楽観的に考えていたように思います。

ところが3月に入ると、ご存知の通り社会状況が徐々に変化し、「この先1〜2年スパンで生き方、働き方の変化を迫られていく」という予感が現実味を帯びてきました。

まだ社会的には緊急事態宣言も出される前で、世の中は企業の在宅ワーク導入がようやくスタートした頃。私と娘は両親の家がある長野県軽井沢町へ拠点を移すことにしました。

そのころの軽井沢町は、まだ雪も時たま降る冬ど真ん中の寒さ。まさか、このあと3ヶ月も長野に滞在することになるとは、思ってもいませんでした。

長期のローカル滞在で見えた職住近接の新しい価値観

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ここで補足をしておくと、広報PRの仕事をしている私は、元々リモートワーク中心の仕事スタイルだったこともあり、コロナの状況下でも仕事面では大きな混乱なかったように思います。

むしろ、これまではクライアントに合わせて対面での打ち合わせが複数回あったものが全てがオンラインに切り替わったことで、「どこで働いているのか」=場所に関する制約が一切なくなりました。仕事はコロナ前よりむしろ加速しているように感じています。

大きな変化といえば、常に娘が隣にいること。

その中で軽井沢での在宅ワークをどう進めていたかというと、

・8:30〜10:30 娘時間
・10:30〜11:30 私は仕事、娘はオンラインで幼稚園や習い事
・11:30〜13:00 昼食
・13:00〜18:00 私は仕事時間、娘は祖母と遊ぶ

とさせもらい、軽井沢で暮らす実母に平日は大変お世話になっていました。ちなみに会社員の夫は仕事が超多忙期につき、東京で奮闘中です。いつもありがとう。

こうして仕事のトータル時間は、午後の5時間程度と明らかに減ったのですが、意外にも、アウトプット量はそこまで大きな変化がないことに気付いてしまいました。(仕事に追われている時は夜も娘が就寝後にPCを開いたりはしていましたけどね)

あれ、何で東京ではあんなに息切れしながら毎日暮らしていたんだろう?

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仕事に夢中になるあまり、限られた仕事時間に焦ったり不安になったりすることは度々ありました。

それでも、毎朝娘と森の中で四季を感じながら1時間以上のお散歩が日課となり、心を無にして自然の中で過ごす時間が、私自身のマインドには大きくプラスに働いていたんじゃないか、今はそう思い始めています。

娘は娘で、いつもよりも私や家族と過ごす時間が増え、自然の中は全てが遊ぶ場所のようで、満足度はむしろ平常時より高まっている模様。

お庭の植物の世話に夢中になり、小鳥の種類に詳しくなり、山道をたくましく歩く姿を見ると、すっかりこの環境に溶け込んでいるようです。

そんな生活を初めて3ヶ月、私はこれからの未来、働き方に生き方を合わせるのではなく、生き方に働き方を合わせていきたい、強くそう思い始めたのでした。

揺るぎ始めた「東京」拠点へのこだわり

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5月25日、緊急事態宣言が解除。いよいよ東京に戻るカウントダウンが始まりました。季節は冬から春を通り過ぎて初夏のようです。

軽井沢に来た当初は、まさか3ヶ月も滞在するとは思ってもいなかったものの、いざ東京に戻ることが現実となって見えてくると、「あれ、このまま軽井沢で仕事も子育ても続けていたらダメなんだっけ?」と未練たっぷりな思いでおりました。

そう、コロナをきっかけに私の「東京」ブランドへの価値観は完全にひっくり返ってしまったんです。

これまで、私の中で東京で暮らす理由は大きく3つ存在していました。

1. 仕事の拠点が夫婦共に東京にある
2. トレンドをいち早く感じられ、あらゆる情報の集積地(ただのミーハー)
3.  娘の教育

今はどうでしょうか。私の中では、1と2の理由が完全になくなってしまい、残すは3の娘のことのみとなりました。とはいえ、東京には娘の大切なお友達、大好きな幼稚園があります。

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5歳の娘が小学校に入学する時期に向けて、娘にとって、夫にとって、最終的には家族というチームにとってベストな選択をこのタイミングで改めて考え直していきたいと思っています。ローカル移住の選択がその一つとなり始めている中で…。

6月、東京に戻ってからの変化は、またnoteに綴ります。



 







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