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「当たったためしがない」ボクシングとバレエを題材にリアルを探求した名作『勝利者』(1957年 日活)

井上梅次の脚本・監督作品のなかから、1957年5月1日に公開された映画、『勝利者』(日活)をご紹介します。


社長令嬢との恋愛で動揺し、チャンピオンを賭けたタイトルマッチに敗れた山城英吉(三橋達也)。やがてクラブの支配人におさまった英吉は、自分の果たせなかった夢を無名のボクサー、夫馬俊太郎(石原裕次郎)に託し、自身の苦い経験からチャンピオンになるまでは恋愛禁止を掲げて、火の出るようなトレーニングで俊太郎を鍛えていくのだが……。

映画『勝利者』あらすじ

『勝利者』はボクサーとバレリーナの恋物語です。石原裕次郎売り出しのために作られた『勝利者』は1億円を超す配収となり、大ヒットを記録しました。

(C)日活

当時、一部にはこの企画に反対があったといいます。それまでボクシングとバレエ映画は井上曰く「当たったためしがなく」、俳優ができない、踊れない、よって迫力あるシーンにならない……というのが当時の見解でしたが、井上は「話が面白く組めたし、今まで日本映画が不得手だったバレエとボクシングを面白く見せる自信がある」として、企画を強行しました。

プロの出演、合理的な撮影手法で迫真のシーンに

ボクシングシーンを迫真のあるシーンにするため、井上はボクシング界のプロフェッショナルを複数人起用しました。

中西清明氏(全日本フェザー級チャンピオン)、横山守氏(前全日本ウェルター級チャンピオン)、伊藤勇氏(全日本ボクシングコミッション認定レフリー)、林国治氏(全日本ボクシングコミッション認定レフリー)、高田幸一氏(全日本ボクシングコミッション認定レフリー)など錚々たる面々が出演し、話題となりました。

拳闘場面を撮影するのに一週間かかったが、その間じゅうプロ選手にかわるがわるなぐられて、こんどこそすっかりグロッキーになっちまった。
(中略)
三橋達也さんとの格闘シーン、あれはテストだけでも五時間かかったという念の入ったもので、おまけに三橋さんの右フックをよけそこねて、まともになぐられ、コンクリートの上で昏睡状態におちいってしまった。とんだ「勝利者」だった。

石原裕次郎著 『わが靑春物語』より


スタッフは「もしパンチが当たったら」と内心ハラハラしていたそうです。さまざまな苦労があった作品でしたが、井上は著書で「素晴らしいシーンができあがった」「(石原裕次郎は)よほど運動神経に自信があったのだろう」と書き残しています。

ラストのボクシングシーンは200カットを超えました。一日50カットとすると撮影に4日かかる計算となり、会場費用もエキストラ費用も膨大になります。これを一日半で撮り終えるために、井上はまたも、合理的な撮影方法を用いました。全カットをカメラを一方向に向けたまま撮って、反対方向に向けない「一方押し」というやり方です。この方法だと観客は会場シート数の半分で済み、ライティングの手間も省くことができたといいます。

ぐるぐるリング内をまわって闘うのにどうしてそんな撮り方ができる
のか。簡単である。赤コーナー、青コーナーの標識をかけかえればいい。

赤コーナーに向けたカメラの前に後姿の裕次郎を置き、相手ボクサーに打たせる。次に赤を青標識に替え、カメラはそのままにして人物の位置を逆にお
きかえ、打たれる裕次郎を撮る。この場合レフリーの位置も逆にし、目立つリングサイドの人物もおきかえる。こうして撮ったフィルムをつなぎあわせると、壮絶に打ちあう迫真のシーンができあがるというわけだ。

井上梅次著「窓の下に裕次郎がいた」より

井上曰く「苦しまぎれの方法で撮ったボクシングシーン」ですが、元チャンピオン・三迫仁志氏は「いままでの拳闘映画の中で、勝利者が一番現実に近いように思われる。特に印象づけられたのは、三橋、石原の拳闘技術の上手なことだ」と評しました。

異例の13分間の本格的なバレエシーン

井上は、イギリス映画『赤い靴』に対抗して、『勝利者』の後半に13分間のバレエシーンを、ラストに8分間の拳闘シーンを配置しました。

当時では異例の13分間のバレエシーンの指導・振付には、『鬼の近藤玲子女史』と井上が称する、ダンサーでジャズダンス界の重鎮である近藤玲子氏を招きました。

日劇ダンシングチーム出身でダンスを得意としていた北原三枝ですが、本格的なバレエの特訓と撮影に大変苦労したといいます。

バレエレッスン中の北原三枝と井上梅次
劇中バレエ劇「都会にあこがれた白鳥の物語」のワンシーン

近藤玲子氏の振付・指導による劇中バレエ劇「都会にあこがれた白鳥の物語」は北原三枝のほか、近藤玲子バレー団が出演し、見ごたえのあるシーンに仕上がっています。井上は出来栄えに満足し「秀逸な振付であった」と残しています。


『勝利者』は石原裕次郎売り出しのための作品としても、配収の面でも大ヒットとなり成功をおさめました。

後日井上がベルリン映画祭に出席した際、『勝利者』を観たドイツ映画監督が井上を「『カサブランカ』のマイケル・カーチス監督の弟子」と評したといいます。

当時の大映専務でもあり作家の川口松太郎氏からは、当時日活所属の井上宛にこんな手紙が届いています。

あなたの「勝利者」を見て、実に感心しました。うまくできていて、本当にたのしく見ました。
あの原作をテレビで見て大映へプロットを出して、企画シンギ会でケラレてしまったのです。
専務がプランをたててケラレる会社も面白いでしょう。
それだけに興味深く見物、タンノウして、リューインをさげました。
あなたの才能を尊敬します。
ちがった会社の重役が喜んでいる事をおぼえていて下さいよ。
これからの仕事をたのしみにしていますよ。

井上梅次著「窓の下に裕次郎がいた」より

また、映画評論家の渡辺武信氏はつぎのような評を発表しています。

特筆すべきは、彼(注・井上梅次)が57年、58年にデビュー直後の石原裕次郎の主演作を連続的に演出し、裕次郎をスターとして開花させたことである。とくにボクシング界を背景としたメロドラマ『勝利者』、海洋アクショ
ン『鷲と鷹』、ジャズ・ドラマーを主人公とした『嵐を呼ぶ男』の三本は裕次郎のスター・イメージ形成に大きく貢献した。またこれらの三作の素材となったボクシング、海、ジャズはその後の日活アクション全体のイメージ
をつくりあげた作家のひとりといっても過言ではない。

デビューからわずか1年ほどで、石原裕次郎は大スターとなりました。そしてその後、井上梅次の脚本・監督、日活娯楽編の最高大作である『嵐を呼ぶ男』に繋がるのです。

映画「勝利者」を視聴する

映画「勝利者」についてはこちらのエピソードもご覧ください。


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