見出し画像

雨が続いている

営業を再開してはや2ヶ月程度。
イベント出店やオンラインショップ、営業再開のあれこれでnoteを全然更新できておらず、筆不精に拍車がかかっていましたが、少しハードルを下げて、日記的なものでも良いから書く頻度を増やしていこうと思います。


先日、大雨の影響で店のすぐ側にある木曽川の水位もあがり、一時避難指示が出る程ではありましたが、なんとか落ち着いてくれて、事なきを得ました。
TVのニュースでも岐阜や木曽の様子も放映されていたようで、遠くの友人やお取引先様からも心配のご連絡など頂き、恐縮しつつとても嬉しかったです。安否の発信はしなくちゃな、と思いました。

自然災害に抗う事は全く無理で、店のすぐ側の木曽川の氾濫寸前の流れを見るからに(場所によっては氾濫していました)、ほとんど諦めにも似た気持ちで冷静になりながら自宅でお酒を飲んでいました。アニメ「ゆるキャン△」など視聴しつつ。
頭の中では、店が流れたら保険はどのくらい効くだろうか、どんな立て直し、方向転換をしようかとかも考えていましたが、杞憂で済んで本当に良かったです。
被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

コロナ禍のなかでの大雨の災害など、大変なハードモードではありますけど、基本的には怪我も病気もなくすごしています。
しいて言えばほとんど毎日酒を飲んでいることぐらいですかね、身体にダメージを与えているのは。そして腹の肉が信念を持って定着をみせ始めたこと。可愛がりそう。

ただ、大雨の湿気のせいか、コロナ禍によるコミニケーションの不足からか、どんよりとした空気感が眼前を覆っています。

ああ、さっぱりとした空気のなか、青空の下、音楽をかけて、大の字で寝っ転がったりしたい。そのままの格好で不行儀にビールを飲んで、口から少し溢すなどしたい。そう心から思っております。いかがでしょうか。わかりますよね。ええ。


しかし、なんとなくどんよりとした空気感、というのは視点を自身の内側に向けるのに効果的なことも多く、「なんだか考え事をしたほうが良さそうだなあ」、とか思えてきます。

鬱々とした感情というのは、暮らしにおける接触不良というか、電気の抵抗のようなもので、滞りは出来ているものの、電気の抵抗が熱に転化するように、なにかしらのエネルギーとなってどこかに佇んでいるのだと思います。

そのエネルギーは”しこり”となってさらに暮らしにおける自身の循環を滞らせることもあるし、クリエイティブなものとして昇華させることもあるでしょう。これを質量保存の法則といいます()。おわり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?