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わたしが手話をはじめた理由

お久しぶりです!ライターのいのうえです。

本日は手話教室の先生をおこなうわたしが
①「手話の世界」に興味をもったきっかけ、そして②「手話の先生」としての今後のことをすこし、時系列に沿って書き記してみようと思います。

◯前置き

わたしはよく周囲の方に「手話の先生をしています」と自分から公表することが多く(認知されたく……)、すると、「なぜ手話をしているのか?」 と頻繁に聞かれるようになりました。おもしろいことに、ほとんどの方から。
そこで、手話の世界がニッチであることを再確認すると同時に、これは書き記しておきたい、と考え始め、この記事を書く運びになりました。

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◯手話の世界を知るきっかけ

わたしにはもの凄く仲の良い(と自負している)妹がおります。
彼女はろう者で、わたしは聞こえる人。
その子は筆者がまだ6歳の頃、わが家に生まれ、初めての妹という存在にとにかく毎日ワクワクしていました。

生まれてから少し経ち、病院にて「耳が聞こえにくいのではないか」ということが判明。ろう者としての妹爆誕。
そこからわたしは妹との生活の中で、家族とともに「ろう者」や「補聴器」、「手話」を知っていくことになりました。
ちなみに大切な部分だったのですこし文面が堅くなってしまいましたが、これらの一連の流れで当時のわたしが分かっていたのは「いもうとがいてうれしい」「ははがふあんなかおをしている」くらいの感情でした。

補足:補聴器について

はじめて妹の耳に補聴器がかかったときの記憶が鮮明で。
わたしは無邪気に「なにこれすごい…きらきらしてる…?さわりたい……」と思いながら母の手元を覗き込んでおりました。笑
(さわるな、大事な機械やぞ)

◯「どうやって勉強した?」について

これもたまに聞かれる質問なのでこちらに書いていきたいのですが、
妹の通う学校での手話教室、地域の教室、そしてときに妹を先生として勉強していきました。
母とともに地域の教室に行き、勉強し、家に帰ってきて妹(当時2〜3歳)に「この手話どうやるの?」「この手話はこれ(手振り身振りをする)で合っているの?」などど聞いたり、仕事で教室にあまり行けない父に「この手話はこうするんだよ」などど伝える日々。
生活の一部として、家庭内の話題の一つとして学んできたのでまったく苦ではなく(たしか、むしろ少し楽しく感じていた。)、自然に身についていた、という感覚があります。

◯手話の先生としての今後のこと

ここからなぜ「手話の先生」を始めることになったのか、についてはまた別の記事で書きたいと考えているのですが、

わたしが手話に関わる芯にある感情は
①手話[ろう/難聴等]の世界の味方でありたい
(愛を持って知り続けたい、力になりたい)
②手話を広めたい
(手話や聞こえない世界を敬遠している人にこそ、知ってほしい)

この2点が主にありますので、"個人教室の先生"だけでなくイベントを行ったり、グループで関われる形を探していきたいと考えています。
そして、手話を普段から使う、仲間がほしい。

これらの方法を模索しながら、今いてくださる生徒さん方を大切にして、一歩一歩進んでいこうと考えています。

「手話とライター」のいのうえはまだ、始まったばかり。これからも、みなさまよろしくお願いいたします。🤟✨

P.S.いのうえは話し好きです。この記事に書いている内容も、口頭で何度も聞いてくださいね!
noteを読んでくださる方も、話しかけてわたしを知ってくださる方も、どちらもビックラブ!!





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