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低学年で読み書きの困難の相談を受けた時心掛けていること

読むことや書くことの困難の相談を受けた時、
対応の軸は共通していても、手立ては学年に合わせたものが必要だと感じています。

・読むことの手立てを持たせる
・書くことの手立てを持たせる

ここは、もちろん共通してます。
でも、学年によって
・優先しなくてはいけないこと
・可能な手立て
は、やはり違っていて、

一律に「これをやるといいですよ」と提案すると、

・助けになるはずの手立てが新しい負荷になってしまったり
→例えば、低学年の子が「読み上げペン」を使おうとしても、自分では大きくて操作がし辛いとか

・日常で活用することに抵抗があったり
→例えば、高学年の子に50音表を持たせることは、家庭では使えても教室では使い辛いとか

なんとことが起こりかねません。
「これがあればできる」はもちろん大事ですが、
読み書きは日常なので、日常の中でできるだけ無理なく続けられる手立てから始めることで効果も実感しやすくなると感じています。
「これがあるとうまくいくな」と本人が肯定的に捉えることからスタートしと欲しいですしね(⌒▽⌒)

というわけで、
「低学年からの相談があった時」に気を付けていることを
つらつらと書いてみたいと思います。

まず、「低学年の時に読み書きの困難の相談が上がる」と言うのは、
結構苦手さが大きいケースだということが予想されます。

だって、低学年の時期に付き合う「文字情報」は、
・特殊音節以外は、一音一文字対応でわかりやすいひらがなカタカナ
・画数が少なく、日常頻繁に目にすることが多い漢字
・わかち書きで書かれた、短めの文章
なんです。

中学になって英語が始まってから読み困難があることがわかった
と言うケースや
高学年になって、画数の多い漢字や小さい文字で長い文章で力尽きた子たちのケースを見ていると、
「低学年の頃から苦手だったけど、あの頃はなんとかなった」と言う子が多いんですよ。
なので、その時点では相談に上がってこない。

なんなら「6年生になっても作文で促音が抜けたり、漢字を全然使わないんですよねー」と職員室で担任が話しているケースでも、
相談には上がってこないことだってあります。

つまり、低学年から読み書きで相談に上がってくると言うことは、
一音一文字が中心の時代から、顕著に困難が見られると言うことなんです。

今は入学前から文字に触れている子がほとんどで、
入学の時点で全く文字に興味を示さないとか、
自分の名前の文字も読んだり探したりできないとかいう状況は、
・興味がないのではなく、わからない
・1人だけわからない体験を繰り返して、拒否感がすでに出ている
姿かもしれません。

それでも学校での学習が始まると、
否応なく「ひらがなの練習」が続きます。
すると、みんなと同じように練習しても、
・習得に過度に時間がかかる
・日常の話す聞くの力に比べて、読み書きの力が過度に劣る
という子がいて、相談に上がってきます。

かつては「様子を見ましょう」と言われがちでしたが、
最近では、早期に介入することで、苦手さを軽減させたり、
手立てを持たせたりしていく取り組みが増えています。

松江市では、平成29年から平仮名読みのアセスメントを、
市内全ての小学校で1年生を対象に行っています。
アセスメントだけでなく「ではそこからどうする」の情報や研修もあるのも良さですが、
個人的には、
・1年生の頃から読めないは起こっている
・文字の学習における「音」の重要性
を広く共有できたことが、この事業の成果ではないかなと思ってます。

私自身もそうでしたが、文字の学習というと「覚えて書く」ことが中心と思われがちで「音」の重要性って、一斉指導の中ではあまり意識されてこなかったように思うので、
こうして「音と文字の一致」の大切さを全市で共有できる取り組みは、
すごく価値のあることだと感じています。

あっ、脱線(−_−;)

本題に入る前に1500字行ってしまった・・・。
すみません。
思いつくまま書いてるもんで・・・。

本題、本題。。。。

低学年で読み書きの相談が上がってきた場合、
・読み書きの困難が大きい可能性がある
・操作や手順が難しかったり複雑だったりするものは有効でもまだ難しい
ことを前提に対策を考えます。

大事にしているのは
・理解を優先する
・すぐに簡単に使えるものから取り入れる
・たっぷり大人の手をかける
・手立てを持って文字と音の一致を図る
・言葉とのアクセスを保つ

です。

・理解を優先する
というのは、
「読めない🟰わからない」
「書けない🟰できない」
ではないことを
本人も周りもしっかり実感することで、
「どうせできない」
「やっても無駄」
という気持ちにさせないために大事です。

具体的に言えば
・宿題のプリントが読むのに時間がかかってなかなかできない
・できないことで荒れてしまったり、時間がかかって疲れてしまったりする
という姿があれば、
・読んであげる
ことをお願いします。
その際は、
・読んでもらえないとできない
ではなく
・読んで貰えばできる
・内容はわかる
というマインドが大人も子供も大事!!
ここをしっかり共有していきます。

せっかく「理解できる」のに、
文字からの情報が取れないことでその習熟の機会を失ってしまうと、
新しい負荷が生まれます。
それを避けることがまず必要だと思うんですよね。

・すぐに簡単に使えるものから取り入れる
というのは、
・読めないなら読み上げを
・書けないならキーボードを
とざっくり言われてしまうことが多いので、気を付けてます。
だって「読めないから読み上げ」と言った場合、
教科書だけではダメなんですよ。
読めなくて音が必要な子って、
プリントも、テストも、音が必要です。

かつて、デイジー教科書を使っていた子が
中学になってから「もういい」と使わなくなったことがあります。
理由を聞いてみたら、
「教科書にだけ音があっても、ワークもテストもわからないままで、
結局何にもならない」
と話してくれました。
音が必要な子は、文字情報が前提となる学習場面では、
どの情報にも「音」がいります。

多様な文字情報に音声をつけていこうと思うと、
・読み上げペン
・撮影して読み上げ
といった方法を身につけて、
自分で解決の手立てが取れる
ようにしていくことが必要ですが、
低学年段階では、それらの手立てを取ることの負荷の方が大きくなってしままいかねません。

デイジー教科書や学習者用デジタル教科書など、
今はパッケージになって使いやすいものもありますが、
それらを自分が思うように使うためには「操作慣れる」ことが前提になり、
低学年だと、たっぷりその時間が必要です。
具体的には、音読の宿題や個別の取り出し等の時間に、
大人にしっかり付き添ってもらいながら慣れていく必要があります。

それをプリントもテストもとなると、
パッケージになっていない分、
別の方法を身につけていかないといけないので、
なかなか大変です。

低学年であれば、
・音のついた教科書のようにパッケージになっているものを、慣れる体験をした上で導入する
・他の紙媒体については、人が読み上げる
が現実的かなと思います。

だから、
・たっぷり大人の手をかける
なわけです。

慣れるプロセスにも、
人の読み上げにも、
大人の手が必要ですから。

ただし、「ずっとそれができるのか」というと難しいですよね。
最初にしっかり付き合っておく
ことが大事かなと。

それを軸に「1人でできる」を少しずつ増やしていきます。

個人的には、色々ある「音がつけられる教科書」の選択肢の中で、
低学年の子でも負担少なくすぐに使えるようになると考えると、
ペンで触れるだけで再生できる「音声付き教科書」がオススメです。

紙の教科書と同じビジュアルですので、授業の中でも使いやすいですし、
無料で音を紐づけられるシールもたくさんもらえますので、
テストやプリントにはあらかじめそれを貼って音声を録音しておくこともありです。
こんな感じ。

赤丸の中の「45.46.47」というシールに音が入っています

シールのところをペンでタッチすると問題の音が流れます。
「ペンでタッチする」という操作がシンプルなんで、
これだと子供が1人でもすぐにできるんですよね。

ただ、「シールを貼って音を録音しておく」という準備が必要で、
そこを大人が担うので、
ここでも「たっぷり大人の手をかける」必要があるわけです。

ただ、苦手であっても、習得ができないわけではないケースがほとんどです。
「今の学習」を手立てを持って支えて進めるのと並行して、
音と文字の一致も意図して学習を重ねていきます。
それが、
・手立てを持って文字と音の一致を図る
です。
具体的には、過去記事を貼っておきますね。



書くのも同様で、いきなりキーボードとかは難しいので、
・選んで解決する
・参照して解決する

を繰り返していきます。

この辺りも、過去記事を貼っておきますので、
ご参照ください(⌒▽⌒)

・選んで解決する
は、この辺り

・参照して解決する
ための手立てはこの辺り

最後に「言葉とのアクセスを保つ」について

読むことに困難があるケースでは、
圧倒的に読書の機会が失われます。
知りたいことがたくさんあっても、
文字からの情報取得がスムーズでないと、
どうしても手に取ることが辛くなっていくんですよね。

そうした状況が日常的になってくると、
どうしても、多様な言葉や文章に触れる機会が減ってしまいます。

・学年が進むごとに本来困難のなかったはずの「理解」に課題が出てしまう

というケースをいくつも見てきましたが、
そこにはこの「言葉とのアクセスの量」の問題があるのではないかと感じています。
たくさんの言葉や文章に日常的に触れているということは、
本当に大切なんです。
むしろ、「読みに困難がある子こそ、読書の機会が重要」だと思います。

ここで大切になるのが、
・紙の本を黙読や音読するだけが読書ではない
ということです。
読みに困難を持つ子の「読書」には、
「音の情報が必要」なんです。

彼らの読書を支えるために、
今はたくさんの方法があります(⌒▽⌒)



低学年時代に介入できるのはとても大事で、
・自信を失わせない
・「方法があればできる」見通しを持たせる
・多様な学び方があることを周囲の子供達とも共有していく
・言葉とのアクセスを保つ
ことをここでしっかりやってあると、
高学年になってからの適応が違うと感じることがたくさんありました。

今は「これを使えばできる」がたくさんあります。
でも、それらを「使いたい」と思うためには、
・自分に必要なことだという実感
・劣っているからみんなと違う方法が必要なのではなく、自分の力を発揮するために違う方法が必要なんだという理解
が大切です。

低学年の時には低学年の時期に合った方法で、
それらを支えていきたいと思っています(⌒▽⌒)

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