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スピリチュアルは科学を誤認している

スピリチュアルに長年いましたが、あの世界の特徴は「科学を否定」「科学を自分の都合で使用」するところにありました。

私もまんまとそこにハマっていたのですが。

ある時は科学を否定し、ある時は科学を自分の解釈で利用する。

こんな事が日常茶飯事に行われていました。

全ては教祖の都合で、彼らは口が達者で、結果上手く言いくるめられていたと思います。

当然、事実を調べようとしなかった私にも非があるわけですが。

人生費やして一つの事を追求し続けた学者達になんとお詫びして良いやら。


科学と伝統

私は伝統食文化と呼ばれる「漬物」「発酵」に携わっております。

創業も明治五年という事で150年程代々漬物に携わっております。

伝統というのはその中にあって、変わるモノと変わらないモノがあります。

変わらないモノ、それは代々口伝や体験を通して伝わってきたものです。

科学も全く同じです。

科学はもちろん、文字や数字を駆使し、次世代でも全く同じ結論になるように再現性を完璧にもたせたものであり、口伝や体験より間違いなく伝達されるでしょう。

計量や数字、たったそれを知るだけで、例えば塩加減3%、これを知るだけで、非常に再現性の高い漬物を作る事が可能なのです。

科学とはなんと使えるものでしょうか。


ブフナーの功績は彼だけのものか?

酵素で有名な科学者にブフナーがいます。

彼は残念ながら道半ばで戦死してしまいますが、酵素の存在を決定づけた非常に重要な科学者です。

しかし、それ以前に多くの学者が酵素の存在を研究していました。

それらがあってブフナーの研究が功を奏していくわけです。

彼だけでは達成されなかった事が、彼以前、そして以降、情報が伝達されまた学者が研究し、新たな結果を出して行く。

当店は「井上家」という家族で代々受け継がれておりますが、科学は家族を超えて、共通の研究テーマで受け継がれていくのです。

しかしそこには先達の研究結果があってこそ。

科学というのは研究テーマを元に集まった人達による伝統、だと私は感じています。


科学の誤認、勝手はゆるされるべきではない

昨今の発酵で良くあるのですが、どうも発酵は目に見えない菌の世界での出来事であるので、そことスピリチュアル的な不思議ファンタジーの世界との親和性が高く、そういったスピリチュアル要素の入った発酵なんかが流行っていたりします。

個人でやる分には良いのですが、発酵の先生がそういった事をおっしゃる事例もあるので、本当に辟易しております。

発酵も伝統で、それは先達が行ってきた試行錯誤あっての事です。

その試行錯誤の末に今我々は確立したレシピを用いて、極めて再現性の高い発酵食品を作る事が可能です。

これは最早科学であります。

例えば糠床にしても「塩」これ一つの要素が欠けていては出来ません。

また、塩の加減もその一つです。

それらは先達が苦労して見つけてきた、一つの研究結果であり結論。

糠床に基本的に入れないような物は、先達が入れてきて失敗してきたものでしょう。

それをわざわざ現代の我々が入れて失敗する必要もありません。

発酵をやるのであれば、彼らが基礎を構築してきた苦労を知り、その重要性を理解し、それらを有難く頂戴し使わせて頂く。

科学も全く同じです。

どこかで自分の都合の良いように解釈を捻じ曲げ、自分のビジネスに使えるように不要な改訳を行う事

こういった事があってはいけませんし、それは仏教に例えるなら、釈迦を知らずに仏教を語るようなものでしょう。


科学は常に発展し続ける

ここが難しいところですが、科学は宇宙の真理を解き明かすその時まで発展し続けるでしょう。

ですから、基礎が間違っていた、という事も起こり得るかもしれません。

だからといって、基礎が何故基礎になり得るのか。

多くの指摘を超えてこれたものだけが基礎、となり得るでしょう。

基礎をぶち壊す程の科学的発見は非常に稀、という事を知る必要があるし、科学は万能ではないのは学者が一番よくわかってるでしょうが、それを良い事に自分勝手に科学を使うのは伝統を愚弄するのと同じです。

エビデンスや科学を否定する人はいますが、それならあなたはそれらを超えたさらに再現性が高く確実性のあるものを提供できるのですか?と。

先達が人生を費やして立証してきた事を自分の都合で捻じ曲げ利用する。

これは命の軽視ではないでしょうか?

そんな人が発酵を正しく出来るとは思えないし、菌の動きをありのまま見る事など到底出来ないと心底思います。


私の科学に対する接し方

私は、今の問題解決に必要なら、また他人に起こっている現状を説明する時に言葉と概念でそれらが説明できるので、そういった時に有難く使わせて頂いているという次第です。

科学の力で全ての問題が解決できる、などそういった事は思っておりません。

また科学の力は大変強力故に、人が善において使用していかなればいかず、精神的な成熟も求められていると感じております。

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