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36歳元編集者、もう一度「書く」を仕事にしたい

書くことが好きで編集者になったのに、いつの間にか書くことから遠く離れてしまっていた。

そもそも編集者は自分で書くことの少ない職業で、最初に雑誌編集者になったときはほとんど自分で書くことはなく、文字校正や見出しを書く程度。

その後、オウンドメディアの会社では自分で書くことが多かった。SEO記事からインタビュー記事まで書いた。ただ、このときに興味のないSEO記事を量産する仕事が正直なところ苦痛で、職業的ライターは向いてないかもと思ったのはたしかだ。

自分が興味を持って取材した人のインタビュー記事を書くことは楽しかった(文字起こしなどは苦痛ではあるのだが)。だがそれよりも興味のない記事を書くことへに苦痛の方が全体としては大きく、書くことへの苦手意識を持つようになってしまった。

それから転職を数回繰り返す中で、書くことから避けて、ディレクションだけをしていればいい仕事をするようになった。そのうちディレクションではなく、メーカーや代理店のクリエイティブに発注する側の立場で働くようになり、クリエイティブから離れてしまった。

これで、興味のないことを書いたり作ったりせずに済む、自分が本当に興味が持てるものだけを書いたり作ったりしていこう、それが一番幸せだ、と思っていたのだけど、次第にクリエイティブに関わっていない現状に自己不全感を抱くようになってきた。

このままビジネス側で部署のマネージャーやら、プロデューサーやらになっていくのでもたしかに悪くない。

だが、それで満足か?
いや、満足じゃない。

それが結論だった。

だからもう一度「書く」を武器にして、仕事にしていくために、書いていこうと思う。

クリエイティブには核となる技術が必要、絶対に。

そもそもなんで「書く」を武器にしたいのか。編集者としてディレクションに戻るとかではだめなのか。

それではだめだ。クリエイティブの核には技術が必ず必要だからだ。

広告代理店のクリエイティブ部門ではデザイナー→アートディレクター、コピーライター→プランナー、というように必ず技術を身につけるようなルートになっている。

そしてデザイナーとコピーライター、どちらからスタートしても最終的にはクリエイティブディレクターへと至るようなルートだ。これは全く理にかなったルートだと関心する。おそらく美術の世界の工房システムから来ているものなのではないだろうか。

美大はなぜ受験でデッサンが必須なのか。それは技術を身に着けなければ、その先の発展的な創作はできないと考えられてきたからだ。技術を身に付け、ディレクションする。それがクリエイティブのごく自然なあり方だろう。

これは編集者として駆け出しだった頃に実感した。仕事で関わるプロのライター、プロのカメラマン、プロのスタイリスト、プロのデザイナー、誰もが武器となる技術を磨いてきた人たちで、その技術を根拠に仕事をしていた。

その中でただ発注者という立場なだけでディレクションを任されていて、とてもいたたまれなかった。編集者は何もできないからこそ人に頼るのが仕事だとか、そうしたプロに囲まれて揉まれることでオールラウンダー的に成長していくものだとか、そういう言葉はよく耳にしたが、そんなわけあるかと思う。

だいぶ紆余曲折してきたが、改めて「書く」を武器にするために頑張りたいとここに表明しておきたい。

まずはnoteとX。「書く」を武器にする上で発信することで、自分の書きたいことを明確にし、コンテンツを蓄積してポートフォリオにしていく。

その次に、映画脚本。紆余曲折する中で映画を作っていたこともあったので、そのコアな部分である脚本執筆は再開したい。

大学生の頃、純粋に好きなエンタメをブログで発信することが好きだった。その感覚をもう一度思い出して書いていこうと思う。

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