本気になるということ。

あっという間に8月になった。

この時期は受験生にとっては勝負の時期、受験の天王山とよく言われる。

高3生や中3生は目の色を変えて一心不乱に勉強に没頭‥‥‥できるようなら塾や予備校はビジネスとして成り立たない。

夏期講習中の受験生を見ていると、色々と面白い発見がある。

ある生徒は授業中や自習中は勿論のこと、昼休みの時間も惜しんで勉強をしていた。
夜になっても帰る時間ギリギリまで日本史のテストを解いていた。1日のうちに勉強していない姿を1度も見たことがない。
その真剣さには講師の私も頭が下がる。美しいとさえ感じるほどだ。

またある生徒は、いかんせん集中力に欠ける。隙あらばスマホをいじって娯楽にのめり込む。当然、勉強の進度も定着率も芳しくない。
そのくせやれ勉強が大変だ、もう駄目だなどと弱音を吐く。
愚痴る暇があるならもっと頑張りなさいと怒鳴りつけたくなる。

ここで不思議なのは、どちらの生徒も大体同時期に勉強をスタートさせ、大体似たようなカリキュラムをやるよう決まっていて、同じように指導を受けているということだ。

それなのに、なぜこんな差が生まれるのだろう。

(ちなみに、2人目にあげた方は浪人生だ。1度痛い目を見ているのだから今年は必死になるのが当然という理屈は、私の勝手な妄想でした。)


人間にはどうも2種類いるようで、「やるからには本気でやって、トップを取りたい」というトップ派と、「めんどいんでソコソコにやって後はテキトーに流します」というテキトー派がいるらしい。

多数派は勿論、テキトー派だ。

勉強だろうがスポーツだろうが芸能だろうが、何事もやって見て分かることはとても多い。初めは成功した時のことしか頭になくて、色々と前向きな空想をするが、いざやってみると想像よりも遥かに苦難が多い。

しかも、現実はラノベのようにスイスイサクサク進むものではない。

1つあることを習得するだけでも、地味な反復練習が必要で、かつ効果が現れるのは時間がかかる。大抵の人間はこの辺のギャップにやられてしまって、ホドホドでいい、テキトーに済ませる、に流れてしまう。


さらに悪いことに、今の世の中は大して頑張らなくてもどうにか生きていけるシステムになっている。

受験でいうと、今現在は少子化のせいで選ばなければどこかしらの高校、大学には入れるようになっている。また大して学力がなくても推薦入試やAO入試といった受験勉強以外のルートで入学する道もある(今現在は名前が変わっているようだが、馴染みのある昔の名前を使わせていただく)

この気質は大人になってもあまり変わらず、人手不足の企業や業界はそこら中に溢れているので、学歴など大して重要ではない。働き方も多様化している昨今では、ますます学歴の重要性は下がるだろう。しかも、日本の会社は入社さえしてしまえばよっぽどのヘマをしない限りクビにはならない。少なくとも無能で仕事ができないレベルなら絶対安心だ。(左遷はあるだろうが)

そして、どんなに生まれてから1回も頑張らない人生を送っても「生活保護」という最期の砦がある。

こんな世の中じゃ、誰も真剣に生きようとしないのも頷ける。
(それで幸せなのかという議論は今回はしない)



逆にいうと、大して頑張る理由を見つけにくい現代で、本気で努力して生きることはとても難しい。正直にいうと、ほとんどの人は不可能だと思う。

しかし、だからこそ本気のチャレンジには価値があるし、本気で何事かを成し遂げた人間にしか見えない景色もあろう。何より自分の中に決して揺るがぬ自信が生まれるはずだ。

生徒たちにも、是非一生自分を支えてくれるような自信を受験を通して手に入れてほしい。
そのためには、心の底から合格を渇望し、生まれ変わることが不可欠だ。



さて、先に話した浪人生はどうしたら本気になってくれるのだろうか。
人を真に覚醒させるのは難しい。あれこれ考えているうちについつい投げやりな気分になってしまう。
「浪人生は試験の点数に−20点をして合否を判定します」とかいう制度ができたら、少しは変わってくれるだろうか笑。



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