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森鴎外『ヰタ・セクスアリス』に見る炎上商法

ぼくの祖父(と言っても父の実の父という意味、父は養子に出された)はもう亡くなって十年ほど経つが、ある都市の市長を務めていた。祖父は謹厳実直な人柄で市長を務めた後、晩年は慎ましく書斎の中でたくさんの本に囲まれて過ごしていた。真面目な祖父は、森鴎外の在野の研究家でもあった。そんなこともあって、鴎外の全集は中学くらいの時に買ったか買わされたか手元にある。

当時『舞姫』が教科書に採用されていて読んだ覚えはあったが、雅文体の小説はどうも難しく、あまり関心を惹かなかった。だが、全集の方の表紙に『舞姫』と共に題名が採用されていた『ヰタ・セクスアリス』の方は、まさにそのセクスの文字によって、ぼくの興味を俄然駆り立てた。なんせ思春期真っ只中だったから。

『ヰタ・セクスアリス』、つまり鴎外の性的生活を赤裸々に綴った自伝的小説なのだが、雑誌「すばる」に掲載された本作は、当時の鴎外が陸軍の高官であったことから批難を浴び、発禁処分を食らっている。なぜ、そんな責任ある立場にあった鴎外が本作を出したのか、出せば世間がどのような反応を起こすか、聡い鴎外はきっと察していただろう。今でいう炎上商法、話題作りの側面は否定できない。何故かというと、、

この当時(1909年)、ドイツ三部作(1890年)から二十年弱経過し、その間に鴎外は日清・日露戦争に従軍したり、有名な脚気論争の只中にいたり、小倉に左遷されたりした時期で、「小説が昔流行った偉い人」といった印象を世間が持っていたのではないか(翻訳や論評を主にしていた)。

同じ全集の中に『懇親会』という小説がある。陸軍高官とマスコミとの赤坂の料亭で開かれた懇親会で、鴎外自身に起きた喧嘩の顛末を書いたものである。そこで酔った記者から謡曲に対する見解を聞かれた素面の鴎外(ソーダを飲んでいる)は適当にあしらって、謡曲に関してすでに「しがらみ草紙」に書いてあると言うが、その記者は鴎外が携わる雑誌「しがらみ草紙」をして「それはいかなる書籍であるか」と言ってしまう有様。その後別の記者に「今度の奴は生利に小細工をしやがる。・・・往来で逢ったら軍刀を抜かなけりゃならないようにして遣る」と絡まれ喧嘩に発展するのだが、流血沙汰になった鴎外は嫌いな酒を飲んで、左手から血を滴らせながら電車に乗って家へ帰る。

その文章は抑制的で、喧嘩の火蓋が切られるその瞬間も冷静にドイツ小説『グステル少尉』のことを思い出した、と述べているが、果たしてそうだったろうか。世間の自分に対する芳しくない評価を目の当たりにして、ショックを受けたのではないだろうか。

その事件が1909年2月に起こったもので、翌3月に『半月』を書き始めると、鴎外は怒涛の小説執筆活動に入る。逆襲の鴎外である。懇親会での出来事が鴎外に火を点け、小説へのモチベーションを駆り立てたのなら、その新聞記者たちもいい仕事をしたと言っていい。そして同年7月に書かれたのが『ヰタ・セクスアリス』である。序盤に鴎外(と目される哲学者、金井湛君)が、夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)を読んで、技癢(ギヨウ:腕を見せたくてウズウズしたこと)を感じたと書いてある。ただ、その当時文壇を賑わせていたのは、田山花袋の『布団』や、島崎藤村の『破戒』といった自然主義文学の旗手たちで、鴎外はそられを読んだ際に感じたことをこう述べている。

 金井君は自然派の小説を読む度に、その作中の人物が、行住坐臥造次顛沛、何につけても性欲的写象を伴うのを見て、そして批評が、それを人生を写し得たものとして認めているのを見て、人生は果たしてそんなものであろうかと思うと同時に、あるいは自分が人間一般の心理的状態を外れて性欲の冷澹であるのではないか、特にfrigiditas(性的不感症)とでも名づくべき異常な性癖を持って生まれたのではあるまいかと思った。

「あらゆる芸術はLiebeswerbung(求愛)である」、という鴎外自身が翻訳したエルザレムの審美論を引いて、「自分が到底人間の仲間はずれたることを免れないかも知れない」と思い、そんな自分の性的生活を解き明かすことによって、特異な自分のことがわかるだろうとの目論見でこの小説を書いたとある。だが恐らく根底には、自分の性的生活を書くにしても、もっと高尚なものを書けるとの自負があったはずで、そのため前半は衒学的な導入部分でルソーがどうだ、ショーペンハウエルがどうだ、と今から書くものはそこらの通俗小説とは格が違いますよと言いたげだ。そして更には、自分の高等学校を卒業する長男に性欲的教育を施すならどのように伝えるだろうかというexcuseを述べて、公人としての予防線を張った上でこの話を始める鴎外であった。

鴎外の性的生活は6歳の頃、春画を偶然目にしたところから始まる。そこから学生時代に硬派(男色)に狙われ、短刀を懐に逃げ回ったことが書かれてあったり、親友二人と性欲的生活を自制する三角同盟を組んだり、たまに若い娘に淡い恋心を抱くこともあるが、その性的生活は決して派手なものはなく平凡で、鴎外というフィルターが無ければ話題にもならなかっただろう。

本人は自分が醜男子で、所詮女性には好かれないと思っている。この考えが永遠に鴎外の意識の底に潜伏していたようで、美男に芸者がきんとんを口に運ぶのを見て妙に冷めた気持ちになっていたり、お見合いについて「女が自分の容貌を見て、好だと思うということは、一寸想像しにくい。・・・容貌の見合はあるが、霊の見合は無い。」と言ったり、あたかも自分の霊性を好きになってくれる心清い美女と(女性の容姿に関しては小説中なかなか注文が多い)結ばれたいという、どこか傲慢ともいえる思い込みがある。女性を物品扱いする世間を批判しながら、その一方で容姿や肩書で近寄ってくる女をどこか嫌悪しているのが端々にみられる。謝恩会で芸者に相手にされず、急に覚醒して冷静になった様子は、『懇親会』で冷静になったと書く鴎外と寸分も違わない。

プライドが高く負けず嫌いで、自分が女としていないのは高尚な理由があってのことと思い込んでいる(本人も無意識に忌避している)鴎外は二十歳で交接の瞬間を迎える。新聞に初寄稿したのが好評だったお礼に、詩人の男からお礼として茶屋へ連れていかれる。一度は逃げようと試みるが、男に「おい、逃げては行けない。」とどなられ、鴎外はそのまま車夫に曳かれて茶屋へ行くことになるが、その時の言い訳はこうだ。

その上僕には負けじ魂がある。・・・この負けじ魂は人をいかなる罪悪の深みへも落としかねない、頗る危険なものである。僕もこの負けじ魂のために、行きたくもない処へ行くことのなったのである。それから僕を霽波に附いて行かせた今一つのfactorがあるのを忘れてはならない。それは例の未知のものに引かれるNeugierde(好奇心)である。

そして遊女の手練手管に、“これに反抗することは、絶待的不可能(原文ママ)であったのではない。僕の抵抗力を麻痺させたのは、たしかに僕の性欲であった。”と白状して事は成ってしまう。終わってしまえば鴎外は性病の心配こそすれ、恋愛の成就はあんな事に到達するに過ぎない、との境地に達し、以降女性に尻込みすることは無くなったらしい。

負けじ魂は後の脚気論争でも悪い意味で目立って、彼の業績に瑕をつけてしまうが、この負けじ魂がなければ、中期から後期の鴎外の作品群は生まれなかったのも想像に難くない。初体験以降はドイツでの悪事の数々がさらっと触れてある程度で、その後はまた、芸術論へと話は移る。この一連の性的生活の話の数々は無意義ではないかと考え、芸術的価値のないものに筆を着けたくないとまで述べる。しかし、そこから鴎外の決意表明ともいえる心情が語られる。

しかし自分の悟性が情熱を枯らしたようなのは、表面だけの事である。永遠の氷に掩われている地極の底にも、火山を突き上げる猛火は燃えている。・・・自分は無能力ではない。Impotentではない。

清々しいまでの決起宣言である。そしてこれを我が子に読ませるわけにはいかないと、ある言葉を表紙に書いてこの小説は終わる。

さて、鴎外は世間から蔑ろにされている境遇で負けじ魂により突き動かされ、小説をまた書き始めた。自分は至ってクールであるという姿勢を崩さず、大所高所から人々を眺め、それを綴っているという風情で、自分のリビドーすら冷静に飼い慣らしていると思い込んでいる鴎外の性的生活は、むっつりスケベの言い訳のようなかわいらしさがある。そしてそれを恥ずかしげもなく小説にして世に出し、見事炎上商法も成功したことが、賢人鴎外が現代でも読まれ続ける所以である。

炎上商法には、ヒールが露悪的なことをして周囲の耳目をひく方法か、イメージの良い人物が意外なことをしでかして(不倫・不貞はいつの世も叩きやすい)世間が驚きと共に火を焚きつけるものがある。『ヰタ・セクスアリス』は後者の方だが、鴎外は主人公に哲学者をそえ、高尚な問答を繰り返し、あくまで性欲に自分は冷淡だという姿勢を崩さずに、自分が公人の高官であるという立場を利用して、炎上する小説をだした。しかも小説内で自分の決意宣言を高らかに叫び、復活のイメージ戦略としては出来過ぎている。発禁本を出した偉い先生の小説は、『舞姫』で一世風靡した小説家が戻ってきたことを世に知らしめるには十分な働きをしただろう。恐ろしいほどの戦略家である。

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