地方公務員が読んでおきたい書籍の紹介NHK取材班「霞が関のリアル」岩波書店
NHKはテレビ番組の作成を通じて書籍も積極的に出している。例えば2010年の「無縁社会」などは、番組も書籍も大きな反響を社会に与えた。ただ、書籍は出版社も形態(単行本・新書)などバラバラで、シリーズ化した方が統一性があって良いのではないかと思うのだが…。
本書はそうした実績を重ねてきたNHKが、2019年から始めたNEWS WEBへの連載という新たなチャネルから生み出した書籍である。私にとってニュース番組と言えばNHKなのだが、WEB版のニュースではそこまで大きな存在感はない。しかし、テレビと違ってWEBはコンテンツの分量が時間で制約されないメディアであるし、いかに「トガった内容」を盛り込めるかが重視されるだろう。とすれば、WEB版のニュースはNHKには少々苦手分野なのではないか…などと思ったりしながら、とにかくタイトルに惹かれて本書を読んだ。だが、(小さな自治体ではあるが)公務員の経験を持つ私にも、大きな驚きと発見がたくさんあるほど「トガった内容」になっていた。
霞が関で働く国家公務員は総合職、つまりキャリア官僚である。誰もが一度は「上級国民」と揶揄されるのを聞いたことがあると思うし、「税金泥棒」と罵倒されることもある。この2つの言葉から、国家公務員は「ロクな仕事をしないのに、待遇だけは恵まれた存在」と思われているのではないか。しかし、本書の内容はそれとは正反対のものばかりである。だからこそ「リアル」であり、「尖った内容」になったのであろう。
そうした内容になったのも、現役の国家公務員、さらには彼らの家族のリアルな声が多数収録されているからであろう。NHKがWEBを通じて声を集めたところ、多くの方から寄せられた。その中から取材で掘り下げ、記事や書籍にまとめていった。こうした取材の方法は以前からなかったわけではないが、WEBを使えば大量かつ迅速に声を集めることができる。WEBの強みを存分に使って本書をまとめたことが大きな特徴になっている。
本書の主な内容を紹介しよう。以下が大まかな目次である。
第1部 官僚だってつらい
第2部 霞が関と永田町
第3部 今どきの霞が関事情
第4部 コロナと戦う官僚たち
この中で特に重要だと感じたのは、第1部と第2部である(筆者の個人的な関心からそう感じたのであり、もちろん他の部分も重要である)。官僚の残業時間が非常に多くなっていることは、すでにさまざまな書籍で紹介されている。しかし、本書第1部では、そのために妊婦が深夜まで残業を強いられたり、仕事の魅力を感じながらも退職せざるを得なかったり、心身に支障をきたすような事例も多発しているということを知り、正直驚いた。また、政治家と官僚の関係について述べた第2部でも、「そんなことまで官僚がしなければならないのか」「もっと効率的な方法があるのに、なぜできないのか」と感じるような内容が随所に盛り込まれている。
民間企業でも「相手のある商売だから」という理由で理不尽な労働環境に置かれているケースはあるだろうが、官僚もまた「政治家」という相手に同じような労働を強いられているのである。もちろん政治家もその点は認識しているだろうし、決して悪意があるわけではない。だからこそ、オンラインでの説明といった多少の見直しがなされたとしても、抜本的な改善には至らないのではないか。
その他の内容はぜひ本書を読んでいただきたいのだが、全体を通じて感じたことを最後に3つ述べておきたい。
1つ目は、「公務員は民間に率先して〇〇すべきだ」などと言われることがあるが、労働の実態に関してはむしろ逆ではないか、ということである。特に、残業時間や待遇など労働関係の法制度は公務員は適用外とされることが多く、それが公務員の長時間残業などを放置してしまっている。つまり、民間が率先している(させられている?)状況になっているのである。別にあらゆる分野で公務員が率先しなければならないことはないだろうが、公務員にも民間にも共通する分野で強力に進められる政策について、公務員にできないのに民間にさせようとしても上手くいくとは思えない。これ以上政策を進めるよりも、まずは公務員も民間と同じような労働環境を実現して、スタートラインを揃えることの方が重要なのではないか、と強く感じた。
2つ目に、公務員は数年おきに異動を重ねてキャリアアップしていくのだが、果たしてこのこのままで良いのか、ということである。本書でも複線型人事(事務次官を目指して省内を横断する経験を積む人と、1つの道のプロを目指す人を分けた人事制度)を提唱している。現在の人事はほぼ単線型で、省内を横断する形だけである。ジェネラリストの養成を目的としているが、専門性が身につかずキャリアビジョンを描けないため若手の転職要因になっているという。
しかも、実態は高い専門性が求められる分野があるにもかかわらずジェネラリストが配置され、非正規雇用の職員が専門性を支えているという(非正規雇用の実態を書いた本は今後紹介予定)。専門性の必要な分野があり既存の雇用形態では対応しきれないのに、不十分な体制と非正規雇用による対応という歪んだ雇用形態が、ますます矛盾を深めてしまっている。これが現実ではないだろうか。公務員のキャリアアップは、ニーズのある政策に最大限応えるための手段でなければならないだろう。
最後に、本書はキャリア官僚について書かれたものだが、ノンキャリアの国家公務員や地方公務員のリアルはどうなっているのか、ということである。霞が関に勤務するノンキャリアの国家公務員は、キャリア官僚とともに仕事をしながらある程度共通した状況下に置かれている可能性がある。一方、地方出先機関に勤務する国家公務員(ノンキャリアだけでなくキャリアも勤務)や都道府県や市町村などの地方公務員のリアルは、一部の職種を除いてここまで極端ではなさそうだ。確かに新型コロナの最前線に勤務する保健所の職員や小中学校の教員などが長時間労働を強いられている、という報道は多くみられる。しかし、そういった職種を除いた多くのケースでは、そこまでの長時間労働ではないと思われる。私は地方公務員を退職後も県庁や市役所を訪れ、現役の公務員の方と頻繁にコミュニケーションをとり、一緒に仕事をすることもある。もちろん彼らの仕事が楽だと言うつもりはまったくないのだが、本書に書かれているほどの激務は想像できない。適度な負担でワークライフバランスも保たれている、というのが彼らの実感ではないだろうか。
そこで、これまで政策を牽引してきた霞が関のキャリア官僚がこのような状況であるのならば、地方公務員は国の政策を受け入れ、選ぶのではなく、自ら創意工夫をさらに発揮して地域を押し上げていかなければならないのではないか。もちろん地方分権の時代だから地方公務員の役割は非常に重要なのだが、霞が関の実態を知ると、国による法整備や財政措置などに遅れが出たり、規模が不十分に終わったりするのではないか、という不安が高まる。これまで地方自治体は国のお墨付きや支援があって動き始めるパターンが多かったように思うが、それでは手遅れになりかねない。特に「地方消滅」の危機が叫ばれているなかで、国の取り組みも確かに重要だが地方がもっと前面に出なければ救えるはずの地方が救えないような事態もこれから起こりうるのではないか。霞が関のリアルを通じて、地方公務員にも考えていただきたいところである。
もちろん、国の役割はこれからも重要であるから、本書で紹介されているキャリア官僚の過酷や労働環境は改善しなければならない。すでに国家公務員総合職の人気が低下し、毎年最大の合格者を輩出していた東京大学の合格者数が激減しているから、改善は待ったなしである。私は、公務員は政策を形成し、実践する最小の単位であると考える。国の政策が健全に機能し続けるためには、霞が関の労働環境が健全でなければならない。その意味で、本書は霞が関の労働環境を改善するために、そして政策の健全性を取り戻すために、データ等で測ることのできない実態を明らかにしたものとして大変貴重だと思う。多くの方に読まれることを期待したい。
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