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ステージは見るより立つ方が100倍たのしい

「そろそろ、ただ見る側から卒業しませんか?」
『発信する勇気』の帯にある一文が刺さった。

note始めて、「見る側」を卒業してよかったと思うから。

オタク気質なわたしは、これまでの人生でたびたび推しがいた。
「推し活」なんて言葉が流行りだす10年も前、小学生の頃から。
アイドル、俳優、アーティストと誰かしらのファンだった。

推しがいることは、毎日に潤いをもたらす。
ときには幸せを、ときには励ましを与えてくれる。
誰かに相談することが苦手だったわたしは、人生のいろんな場面で推しに救われてきた。

もはやブラック企業並みの時間を捧げていた中学・高校の部活。
今になっても戻りたいとは思えないしんどかった毎日。
帰宅後に見る嵐のバラエティ番組と音楽がわたしの支えだった。

コロナに振り回されて全く捗らなかった就活のときだって。
あいみょんの曲を聴いてなんとか乗り切った。
前向きすぎない、少しひねくれた歌詞が、当時のわたしには救いだった。

推し活の効能はまだまだ語り尽くせない。
希望と優しさを、たくさんもらってきた。
決して少なくないお金と時間を、作品やグッズに費やしているのも認める。

そんなわたしが、この数年でだいぶ推し活が落ち着いた。
ライブは行くし、曲だって変わらず聴いている。
でも以前のように、生配信に参加したり、SNSで毎日追いかけたりはしていない。

単に社会人で自由時間が減ったから、ってわけではなくて。
気づいてしまったからだと思う。

ステージは、「見る」より「立つ」方がおもしろいってことに。

推し活はもちろん楽しい。
曲を聴いて、SNSで愛を語って、ライブで一緒に盛り上がる。
「夢のような時間だ」と思うのは、決して大げさじゃない。

でも、どれだけライブで盛り上がっても、グッズを買っても。
なんだか満たされない感情を抱えていたのも本音。

ステージの上でみんなに笑顔を与え、楽しそうにしている推し。
かっこいいを上回る、うらやましい気持ちがあった。
比較にすらならないのはわかっている。
でも、自分は何をしているんだろう、と。

わたしだって、何かしたい。ステージを眺めておわる人生なんて嫌だ。
とはいえ、秀でた一芸なぞないくせに、そんなこと言うのおこがましいか。

自分でも得体のしれない焦燥感に駆られるたび、「センス」で片付けて見ないふりをした。
でも、頑固なわたしは完全に目を逸らし切ることができなくて。

ようやく、腹をくくった。
ならば、気が済むまで付き合ってやろうじゃないの。
半ば勢いまかせにnoteを始め、もうすぐ一年経とうとしている。

推しと肩を並べて語れるとは到底思ってない。
なんなら、人前に出ることもせず、部屋でPCに向かっているだけだ。
それでも、自分なりのステージに出会えたと思っている。
恥ずかしいけど、チキるけど、そんなもん上回るおもしろさがある。
見ているだけでは到底得られない栄養、たまらん。

というか、今になって思えば。
noteを始めるハードルなんて全然高くない。
ウン万人の前で歌う推しの勇気に比べりゃ、豆粒レベルじゃないか。

まあでも、清水の舞台から飛び降りる気持ちだった去年の自分に盛大な拍手を。
全然、痛くないから大丈夫。むしろめっちゃ楽しいよ。

出してよかった、発信する勇気。







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