2020年以降の日本の行末、持続可能性を考え、『日本国・不安の研究』を書きました。

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 本書の「あとがき」です。

 太宰治の小品「桜桃」の冒頭「子供より親が大事、と思いたい」と書いてある。高齢の親が自分が介護される状態が近づいてから、よくそう思うようだが、いまは違う話をしよう。「桜桃」には、放蕩ばかりしている父親が、妻と幼い息子や娘と貧しい一家団欒の食卓を囲んでいる情景が描かれる。妻はつぶやく。
〈「この、お乳とお乳のあいだに、......涙の谷、......」
 涙の谷。 父は黙して、食事をつづけた〉

 じつはこの「桜桃」と一対になっている「家庭の幸福」というタイトルの小品がある。

「津島修治」という名前の三十歳の町役場に勤める戸籍係で「細君にとっては模範的な亭主」「子供たちにとっても、模範的なパパ」だが、いわくありげな女が町役場の閉館時間ぎりぎりに出産届をもってきた。すがりつく女に、津島修治は「あしたになさい、ね、あしたに」と窓口をカシャッと閉めた。新しいラジオが店から届く日、一刻も早くラジオを囲む家族の笑顔を見たくてうずうずしている。女はその夜半、自殺する。
 
 放蕩する自分と、杓子定規に生きるもう一人の姿。杓子定規だけが人生ではないよ、粋なところもなくてはね、と開き直っているのである。

 役所の仕事の基本は杓子定規である。 空き家をグループホームとして活用するための個人住宅の用途変更が一〇〇平方メートル未満だった。それが規制緩和され二〇〇平方メートルまでとの改正建築基準法が施行さ れた。ところが市町村の窓口では構造計算の書類など煩瑣な手続きを求めるローカルルー ルが横行している(本文五一ページ)。これでは空き家はいつまでも空き家のままであ る。この国では、空き家が余っている、同時にグループホームが必要とされている、という根本のところの理解がないから杓子定規な対応が残ってしまうのである。

 窓口には杓子定規もあればスムーズに進められるところもあり、まちまちである。二種類あるのは、そこに使命を持って仕事をする人とそうでない人とがいるからだ。

 十年前の東大五月祭で役人志望者の勉強会サークルに招かれた。講演会参加者用に著作集のチラシを配布するつもりでいたら、実行委員会から「商業的なチラシの配布は禁止」されているという。講演内容に関わりあるプロフィールのつもりで用意したのに、「規則だから」の一点張りなので、「では配布せず、会場入口に置こう」と提案した。それで問題はなかった。

「四角い部屋を規則通りに整えるのは上手でも、そこから抜け出て部屋を丸くしたり、まったく別の枠組みにすることのほうが大切です」

 役人志望の東大生に、講演でそう語りかけた。

 東日本大震災からしばらくして、茨城県が上野駅のコンコースで茨城特産の納豆フェアを開催することになった。ところが生ものである納豆は水道のある場所でしか売ってはならない、と横槍が入った。東京都の条例にそう書いてあると保健所が来て中止を求めてきたのである。

「どうにかなりませんか」

 茨城県副知事から東京都の副知事室に電話がかかってきた。調べてみると五十余年前につくられた条例で、そのころの納豆は藁につつまれていた。いまは発泡スチロールで包装されている。だがいますぐ条例改正はできない。そこでコンコースに他の特産品の山をつくり、駅弁のように首から納豆をぶら下げ、その周囲を大声で売り歩いたらどうか、そのほうが威勢がよく見える、と提案した。茨城県副知事も東京都の担当局長もホっとした顔になった。

 日本人は規則を守るという美徳があるが、同時に杓子定規なところがあり、それはこの国を生き辛くし、追い詰めてもいる。日本の文化は、くそまじめなところだけでなく、いっぽうで「粋」を大切にした。

 医療・介護問題のいちばんの課題は財政である。高齢社会がより進展すると解決が難しくなる。いまからどこを解決しておいたらよいか、構造的な問題を本書で示した。制度改革には歴史的な観点が必要であることもひもといたつもりである。

 あとはどれだけ、ひとりひとりが些事において粋な計らいをできるかである。機転を利かせないと世の中は窮屈になるばかりだ。

 じつは驚いたのである。例えば薬局調剤医療費八兆円のうち政策コストが一兆九〇〇〇億円もかかっているということに。

 医者が患者に薬剤を処方するにあたり、仕入れ原価の二倍の価格を患者に請求していたのが高度経済成長の時代で、それでは暴利を貪りすぎるのではないか、と厚生労働省の役人は危惧した。日本の医療体制を近代化しなければならないと考えたのだろう。

 医薬分業にすれば改善できる、と模索された。そのためには医師に診察料があるように薬剤師に調剤技術料というインセンティブを与えればよい、と方向が定められた。それでどうなったのか。医薬分業をほぼ達成できた。医者が薬価で利益をあげる発想はほとんど 消えたが、そのための政策コスト・調剤技術料はどんどん膨らんで一兆九〇〇〇億円にな った。薬科大学も増え、薬剤師も増えた。政策コストによりつくり出された需要によって 門前薬局が簇生したのである。

 ある意味、政策が余計なことをした。だとしたら単純に調剤技術料を大幅カットすればよい。しかし、新しい産業が生まれてしまったらつぶすわけにはいかない、それが役所の論理なのだろう。だから厚労省は診療報酬改定を毎年度することにした。しかし、役所の予算はつねに対前年度比で考えるから、結局、微調整することが当面の仕事になる。

 こうして微調整、微調整を杓子定規に繰り返して少しずつ修正するのだが、そもそもなぜこうなったのかとの根本的な見直しはしないまま、担当の役人は部署を交代していく。しだいに既得権益が積み重なっていきやがて危機が訪れるのだが、そのときにはもう誰のせいでもないことになっている。

 二十二年前に『日本国の研究』を書いた。構造改革のテキストとして、それにもとづいて小泉内閣で道路公団民営化を実現することができた。いま新しく求められている課題を 『日本国・不安の研究』としてまとめたつもりである。

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