未来は見える!『昭和16年夏の敗戦』の読者は、ぜひ『黒船の世紀』を。水野広徳『海と空』(昭和5年刊)は10万人が亡くなった東京大空襲を予想したが無視された。

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第11章 東京大空襲を予知して

 東京の3月の気候は不安定である。ぽかぽかと温かい陽差しに心が緩むかと思えば、吹きすさむ突風で襟元を押さえながら歩いた記憶も少なくない。
 昭和20年3月9日も、そんな風の強い日だった。夕方から夜になると風は いっそう激しくなった。、三日前に降った雪が日陰に残っていて路上を吹き荒れる突風は刺すように冷たい。午後10時30分、警戒警報のサイレンが鳴り響いた。
 このとき房総方面から飛来したB29はたった一機で、まもなく旋回して去った。東京の住民がやれやれとほっとして眠りについたところにB29の大編隊が襲来するのだ。第一弾が深川地区に投下されたのが日付が変わったばかりの10日午前0時8分。焼 夷弾の豪雨はたちまち東京中を覆っていく。
 猛火は下町全域に波及した。空襲警報が鳴ったのは第一弾投下より7分後の0時15分だった。炎は突風にあおられ、いたるところ火の海である。
 僕の手元には『東京大空襲・戦災誌(全5巻)』が置かれている。
 空襲というものがどれほど想像を絶するものか、この資料集はあますところなく示してくれる。たくさんの手記が収録されているが、任意に一編、女学生の体験を取り出してみよう。

……くるくると竜巻が起きていました。トランクも捨てました。江東橋が見えるような気がしました。熱い、身体に燃えついてくる。火だるまになって、ころがっていく人、泣き叫んで火に包まれて、川に飛び込んでいく人、逃げても逃げても、どうしようもなくなりました。
「お母さん、死んでしまうわ。火がついてしまう。川へ飛び込みましょう。いいわね、手をつないでよ、放さないでね」と私。母は無言。ためらいました。ここで川へ入らなかったら、焼け死ぬ。死ねない、生きるんだ。さあ川へ入ろう。母と筏の上に飛び降りた。そのあとから火に追われた人たちが、私の頭の上に、身体の上に、つぎからつぎへと、飛び込んできたのです。
 それが私と母との永久の別れとなり二度と母の姿を見ることができなくなりました。瞬時の出来事だったのです。運よく私は筏につかまることができたものの、和服より着たことのない静かな母には、とうてい筏につかまって生きようとする気力も、すべて失われていたのかもしれません。私を助けたい一心で、無言で神仏に祈っていたのかもしれません。筏につかまりながら母を探すこともできず、自分の生死すら考えることもなく、流されるままに、筏にしっかりつかまっていたのです。
 生きるか死ぬかの境地にありながら親切な人が私の防空頭巾に燃えついた火を消してくれたのです。「ありがとう」の言葉も出ず、一滴の涙も出ませんでした。恐怖にこわばった颯人形のように、筏にしがみついていました。真っ赤な炎が水面をはっていく、両岸の軒なみをなめつくしていく。火の粉をふりはらったり、頭を川の中につけたり、筏が流れていくのにまかせて、オーヴァーを着ていた身体が冷たくなっていくようでした。誰かが「眠っちゃいけないぞ」と大声で元気づけてくれました。プカプカ浮かんでいる女の人、子供、みんな死んでいました。死人の中に私だけが生きているのです。中年の女の人があおむけに浮かんでいます。死んでいます。あっちもこっちも死人ばかり、恐ろしさも薄れていきました。生と死との紙一重の中におかれました。私には、生きたいとも死にたいとも、これからどうなるだろうということも、頭の中はからっぽでした。
 強風と火勢はつのるばかり、いままで筏の住人だった人が、一人減り二人減り、私の手もつかまっている最後の力が抜けていくのがわかります。眠くなってくるのを「眠っちゃだめだぞ!」と耳下で、男の人の叫ぶ声を聞きながら、運を天にまかせることにしました。そのとき男の人が手を引っ張って助け上げてくれたのです。そして頭から鉄カブトで水をかけてくれました。

--手記はまだまだつづくが、この辺で止めよう。
 日露戦争から第二次大戦までの間に日本の国民は深刻な戦災を受けていない。日露戦争でさえ、日本国内での戦闘はなかった。二〇三高地の斜面には突撃する日本軍兵士の累々とした死体の山が築かれたが、これも外地の出来事である。
 しかし、ヨーロッパでは第一次大戦で非戦闘員が戦争に巻き込まれ、街は焦土と化した。近代兵器が人間をかぎりなく卑小な存在におとしめたのである。
 水野広徳が見つめた戦争とは、そういう想像力を超えた世界であった。
 池崎忠孝が書いた『米国怖るるに足らず』 は、気軽なパワーゲームにすぎない。戦争を知らない連中に、おもしろおかしく日米未来戦記のブームをつくられてはたまらない。そう思った水野は、『海と空』(昭和5年)という小説の末尾で、東京がアメリカ軍の爆撃機に空襲される姿を描くのである。

……敵の幾機かはついに東京の上空に進んだ。ガス弾と焼夷弾は随所に投ぜられた。ガスマスクの用意なき市民はたちまちガスに冒され、群れをなして斃れた。敵機襲来の警報ありてより、わずか1時間である。
 火災はまず市の北と南に起こった。やがて北にも西にも火の手は30カ所、40カ所に及んだ。避難民の雑踏のため消防ポンプも走れない。止までもよき雨は止んで、南東の風が火を見てますます猛り狂っている。満大をこがす猛炎、全都を包む烈火、物の焼ける音、人の叫ぶ声。
 あとは非情法景、想像もできない、形容もできない。
 火災は二昼夜継続し、焼くべきものを焼きつくしたのち、自然に消鎮した。跡はただ灰の町、焦土の町、死骸の町である。大建物の残骸がローマの廃墟のごとく突っ立っている。

--と、まるで未来にタイムスリップして目撃したような描写である 。
 15年後の現実が、作者の脳裏に浮かび上がっていたかのようだった。さきほどの手記に重ねて読むと、無力感がひしひしと迫ってくる。こうなるとわかっていたのなら、なぜ避けられなかったのか、と。
 甲板の上で海軍士官が数人、飛行機の攻撃力について雑談している--。
「日本海海戦なんて、いまから考えてみると、その功績の大小は別として戦争そのものは子供の戦ごっこみたいなものだ」
「日露戦争にはまだ飛行機もなし、潜水艦もなし、無線電信だってやっと二百海里か三百海里で通じたり通じなかったりじゃ。あのころ飛行機や潜水艦があったら旅順の封鎖もできなけりゃ日本海海戦も起こらなかったろうぜ」
「だが海軍の戦争も、このごろのように二万メートルも三万メートルも離れて、敵艦の煙突の頭ばかり狙って射撃するのでは張り合いがないね。音はすれども姿は見えずで、まるで眼をつぶって芝居見物をしているようなものだからな」
 実際に戦闘シーンで航空機が活躍する場面があって、そのあとに、戦艦よりも航空母艦が主役になるというこんな会話が挿入される。
「戦艦という奴のあの大きな図体とのろい行動は、飛行機のよい攻撃目標じゃないか」
「その論法でいくと、戦艦のつぎには大巡洋艦が無用になる、そのつぎには軽巡という具合に、結局すべての軍艦が無用ということになるじゃないか。そうなりゃ海軍は全滅じゃ」
「そういう時代がいつかはきっとくると思うね。元来、軍艦の任務は制海権すなわち海上交通権の確保のほかにはないのじゃ。飛行機の船上発着がもう少し便利になると、商船にもみな二、三の飛行機を積んで、自分で偵察しながら航海するようになるから、軍艦の援護を受けなくても、安全に航海ができるようになるんだ。そうなると航空母艦のほかはみな廃艦じゃ」
「俺はまたそれとは反対に航空母艦を廃止したいんだ。というのは元来日本のように四面環海でどこからでも敵の空中攻撃を受けやすい国では、航空母艦という奴が最も危険な軍艦だ。東京などは、いつ敵の焼き打ちを受けるかもしれない状態じゃないか」
 日本は海に取り囲まれている。日本列島は、いわば自然の藻に囲まれた要塞であった。近づいてくる敵艦隊を迎撃すればよい、というのがこれまでの戦術であり、実際にロシアのバルチック艦隊をそうやって撃退したのだ。ところが航空母艦の出現は、状況を一変させようとしている。
 未来の戦争は、広大な太平洋を狭い箱庭の池のようにするだろう。航空母艦に満載された敵の爆撃機が、やがては東京の空に群がって飛ぶ日が来るだろう。
『海と空』の結末は、すでに記したような悲惨な東京大空襲で終わった。主人公は焼け跡に立ち、ひとりつぶやく。
「戦争をするつもりなら、するだけの準備が必要だった。戦争をしないつもりなら、しないだけの心掛けが必要であった。するだけの準備もなく、しないだけの心掛けもなく、ただ勢いと感情に引きずられて漫然と始めたこの戦争。こうなる結果に不思議はない」
 ただし、こんなオチをつけてある。
「グスグスッと激しい地震に著者の夢は覚めた」
 あまり露骨に日本が負ける、と書いたのでは読者の反発が予想されたし、出版禁止の恐れも出てくる。当然の配慮だった。
 それでも『海と空』には伏せ字がない。まだ検閲は厳しくなかった。
 ところがつぎに水野が書いた『日米興亡の一戦』は、一度、発禁処分を喰らっている。(公開はここまで)




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