見出し画像

26日目:「年賀状」とは一人ひとりを想うひととき(100日目に40歳になる猪瀬)

小学生のころ、年賀状を書くのは嫌いだった。面倒くさいからだ。送る相手はいつも学校で会える仲間ばかり、口で伝えられる相手にわざわざ手紙に文字をしたためる理由がわからなかった。

そこで当時の私は年賀状を書くにあたり定型文を考案した。大したものではなかったが、我ながら凄く良い方法を思いついたと得意げに自由帳にメモしたのを覚えている。だいたいこんな感じだった。

A. 冒頭(あけましておめでとう/謹賀新年)
B. 挨拶(昨年はおせわになりました/今年もよろしくおねがいします)
C. 本文(今年も一緒に●●しよう系)
 1.あそぼう
 2.なかよくしよう
 3.ぶかつがんばろう
 4.ゲームしよう
 5.プールいこう
 6.えいがにいこう などなど……

これだけで24通り( 2✕2✕6 )にはなる。だいぶ手抜きしていたな……Cに関しては仲良し具合によって選びにくいものもあった。面倒なことはできるだけ手間をかけずに済ませる方法を考える、そんな思考の癖はこのときにはあった。

こうして書かれた年賀状に私の気持ちがどれだけあるのかというと正直疑わしい。それでも、もともと送ることに意義を感じていなかった年賀状なので送ることさえできれば目標達成だった。

そしていまになって思えば、これは効率化が過ぎると感情が抜け落ちやすいという良い例なのかも知れない。

① 「年賀状」 とは

年賀状の意味を調べるために今回も新明解国語辞典のお世話になる。さてどんな説明がされているのだろうか。

ねんがじょう【年賀状】
■意味
新年のお祝いとして送る挨拶状。
出典 :『新明解国語辞典(第8版)』(2020)三省堂

14文字。「。」を入れても15文字。実に短い。意味としてはそれでも十分に伝わる。あえて素朴な疑問を挙げるとしたら、言葉の意味ではなく私達の習慣としてなぜ新年を迎えるとお祝いするのかだ。

おせち料理には出世や子孫繁栄、豊作などの願いが込められているが「願い」と「祝う」は少し感情が違うように思う。なので新年を祝う習慣ができた経緯が非常に気になる。

私は自分を振り返るための一つの区切りとして一年という物差しがあると思っているので、この一年で成し遂げたいことを年始の抱負に掲げ、年末には振り返るといった過ごし方をしているようであれば、確かに新しい年を迎えることは次の自分への幕開けになるのでおめでたいことになるような気はしている。

② 私の釈義

これまでいろいろな人と出会いたくさんお世話になってきた。そして、これからもたくさんの人と出会い、共にいろいろな経験をさせていただくことになるだろう。

ただ残念なことに、直接会える機会というのは本当に限られてきていると感じる。地理的な問題や時間的な都合がどうしてもあったりするからだ。最近では(と言ってもコロナ禍で自粛しているが)飲み会ですら一期一会という気持ちで臨んでいる。

そんなこともあり、いまの私にとって年賀状を用意することは、お世話になっているかた一人ひとりに感謝の気持ちをもって言葉をしたためる貴重な時間になっている。

小学生のころの効率を重視した年賀状とは大違いだ。一字一句、決して綺麗な文字ではないものの心を込め書かさせていただいている。例文のテンプレートではなく心からそう思うことを。

今年も残すところあと僅かになってきた。年賀状の差し出し期限も迫っている。つまりどういうことかというと、年賀状がまだ全員には書き終えていないので休憩の時間はここまでと言うことだ。さて、それではまた感謝の言葉を綴る時間に戻ろう。

年賀状とは一人ひとりを想うひととき

■ 辞典は読み物!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?