『軍師 竹中半兵衛』 竹中半兵衛はアイヒマンにはならない(日本の歴史)
信長が黒田官兵衛が寝返ったのではないか、という疑念から、人質となっている息子の松寿丸の殺害を秀吉経由で命じられたにも関わらず、黒田官兵衛はそのような男ではない、と自分の城下で匿うところなど、例え上司の命令でも、大局的に誤りと判断すると、自らの意志を貫き通す姿は小栗上野介にそっくり。
その後、竹中半兵衛は亡くなり、無事松寿丸は生き延び、黒田家を継ぐことになり、関ヶ原の戦いで功績をあげた。そして、小栗上野介は、薩長と主戦論を主張し、徳川260年の中で将軍にはじめて罷免された部下となり、権田村で薩摩に処刑されてしまう。
竹中半兵衛も小栗上野介も絶対的な命令服従という時代であったにもかかわらず、信長の命に背き、将軍の命に背くことをいとわない生き方を信条とする人。もし、ドイツのアドルフ・アイヒマンなどがこの二人のような性格であれば、あんな悲劇は起きなかったと考えると、歴史はいろいろなことを教えてくれる。
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