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『ヒズボラとマクダラのマリアからShia Crescentへ』(イスラエル、イスラーム)

 『エルサレムの旧市街からの発想』でも紹介したが、ビジネスを行っていたのは第1次インティファーダの時期で、その後の第2次インティファーダの収斂した時期とレバノン侵攻の直前に観光でイスラエルを訪れている。

 一般的にイスラエルでビジネスを行う人が拠点とするのはテルアビブだと思いますが、私が拠点としたのはエルサレムでした。時代的には第1次インティファーダからオスロ合意によりパレスチナの自治が認められ、ラビン首相が亡くなった頃の経験です。その後、第2次インティファーダの終息した時期にも観光で訪れていますが、パレスチナが分離壁で囲まれ、レバノン侵攻がはじまろうとしていました。第2次インティファーダは聖地アル・アクサー・モスクへの強硬派リクードの侵入がトリガーになりましたが、最近のイスラエル人とパレスチナ人の衝突もアル・アクサー・モスクの封鎖がトリガーで、第3次インティファーダが起きそうな雰囲気になってきました。

 レバノン侵攻の時期にイスラエルに訪れたのは2006年7月16日だ。              
 2006年7月にはじまったレバノンのヒズボラとの戦いが地上戦に移ろうとする頃の話で、以前からマクダラのマリアの生まれたガリラヤ湖周辺(マクダラ村)を訪れてみたいと計画した旅行だった。
 ここではじめて、地上戦がはじまる前の緊張した状況というものを経験した。

 日本人が戦争をイメージするとき、どうしても第2次大戦の状況が思い浮かぶが、イスラエルで戦争というと国内全域が戦争状態になるのではなく、一部は戦争状態だが、他の地域は静かで普通の暮らしがあり、ビジネスも行われている。

 このことはイスラエルとのビジネスで経験していたので、マクダラのマリアの人生をめぐる旅のはじまりとして、ガリラヤ湖周辺のキリスト教の聖地をワイフとともに訪れていた。

実際に着弾したときの車中からの写真

 タクシーの運転手さんに山上の垂訓教会を案内してもらっているとき、大きな爆発音が聞こえた。
 前日にテレビニュースで、イスラエル北部のハイファにまでミサイルが飛来しているというニュースが流れていたが、ガリラヤ湖周辺には過去飛来したことがないので、タクシーの運転手さんも普通に観光案内を引き受けてくれた。

 そこに爆発音だったので、急いで引き上げることにしたが、マクダラ村を通過するとき道路のすぐ右の畑にミサイル(たぶんカチューシャ)が直撃し噴煙を上げた。

 タクシーの運転手さんは時速130kmぐらいで運転しながらトーラー(旧約聖書)をハンドルに押し付け読み上げ祈っている。
 ヨルダン川のジョン・バプティスマぐらいまで来ると少し落ち着き、死海に到着すると観光客で一杯だ。運転手さんによるとガリラヤ湖畔のガティベリアには3発着弾したとのこと...。
(ちなみに、現在のヒズボラのミサイルは死海まで届く)

 その1週間後の7月22日に、イスラエル地上軍がレバノンのヒズボラに侵攻し、レバノン戦争がはじまった。

 その頃は私たちはイスラエルから南フランスのサントボーム(Sainte-Boume)のマクダラのマリアが住んでいた洞窟に到着し、彼女が洞窟から出てたびたび登っていたという山頂のサン・ピロンのチャペル(標高998m)から地中海を眺めていた。

 余談だが、夕日に輝く地中海の向こうはマクダラのマリアがイエスと過ごしたイスラエルなので、洞窟から出て山頂のチャペルから地中海を眺めることが多かったという彼女の気持ちを思うと、キリスト教成立時の「0 to 1」は彼女のイエスへの愛情の成せる技ではないか、と信仰心のない私は思ってしまう。

 今まではこのようなイスラエルとヒズボラの関係やイランの関係がこの地域に及ぼす影響を考察しておけば良かったのだが、シリアやイラクのシーア派とスンナ派の対立に煽られ、サウジアラビアとイランの対立となった世相の変化予測(環境研究)を行う必要性も出てきた。

Shia Crecsent

レバノンのヒズボラ(シーア派)
シリアのアサド政権(シーア派)
イラクの政権(シーア派)
イラン(シーア派)

 ヨルダンのアブドラ国王は、ワシントンポストのインタビューで上記の4ヵ国を「シーア派三日月地帯(Shia Crescent)」と名付けたが、イランの経済制裁解除とイラクやシリアの内戦により、シーア派とスンナ派のパワーバランスが変化しつつあることは確だ。

 アメリカがイランの経済制裁の解除を行ったことからイスラエルとシーア派三日月地帯のリーダーであるイランの関係が今後どのように変化するのか、2006年のレバノン戦争のようにシーア派のヒズボラはイスラエルと緊張関係を高めて行くのか、あるいはこれらの対立エネルギーはスンナ派のサウジアラビア(GCC:湾岸諸国)に向けられるのか、シリア、イラクなどのシーア派政権のスンナ派国民は抑圧されるのか、これらの世相の変化の延長線上には、イスラエルとGCCを中核にしたスンナ派諸国の関係変化を考察することが必要だ。

 以下、『トルコとイスラエルの天然ガス』より引用。

 さらにディナーの席の雑談で、このリソーススケジューラがサウジアラビアのオイルプラントでも活用されていることを知りました。サウジアラビアはアメリカとの関係もありイスラエルに対しては比較的穏健な外交を行っていますが、やはりイスラム圏なのでお互いは背を向けています(イスラエルと正式な外交関係を持つのは、エジプトとヨルダンの2カ国だけ)。・・・ この契約を通じて、私がイスラエルで学んだことは、イスラム圏とイスラエルは外交的には背を向けていますが、ビジネスとしては利害が一致するならば、第3者を通じビジネスが行われていることでした。また、イスラエルは人件費が高くなったため、工場を死海対岸にあるお隣のヨルダンに移転し、「Made in Jordan」としてイスラム圏への販売を行っている企業もあることも後に知りました。

 エジプト、ヨルダン、トルコはいずれもスンナ派、さらに湾岸諸国(サウジアラビア、UAE、カタール)もスンナ派だ。
 特にこの地域の環境研究(世相の変化予測)は、今後の世界中のイスラームへのビジネスを考える上で重要だ。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。