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『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』SNSの炎上で生まれた本(世界の歴史)

 2021年2月、小論文を教える予備校講師が指導する女子高生がヒトラーのファンで、ナチス政権を徹底的に肯定した小論文を提出した。あまりに文体が完璧だったため、講師が添削に困ったとSNSにツィートした。これを受けて筆者が「30年くらいナチスを研究しているけどナチスの政策を肯定できるとこないすよ」と返した。これに対し、ナチスの失業対策の成功、アウトバーンの建設、フォルクスワーゲンの開発、歓喜力行団の旅行事業などの反例を挙げた意見で炎上した。この経験がきっかけになり、これらの事実をナチス研究の専門家としてまとめられたものがこの本だ。

 まず最初に、「ナチズム」の訳語をソ連や東ドイツのような国家権力が生産手段を固有化する社会主義体制と区別するため「国民社会主義」としている。

ナチズムは国家ではなく、国民・民族を優先する思想です。国家はヒトラーにとって、国民・民族に仕える道具でしかないのです。したがってナチズム、ナチ党の訳語は、国民社会主義、国民社会主義ドイツ労働者党とするのが、原意を正しく表していて良いと思います。

ドイツ現代史研究者 石田勇治

ナチズムを国家社会主義という訳語を当てることには、全体主義論でソ連共産主義と一括りにしたいという反共的な思惑とともに、「国家」責任のみ追求して「国民」責任を問おうとしない心性が見えかくれしている。

メディア史研究者 佐藤卓巳

 ヒトラーにとって、ナショナリスト=国民主義者であるということと、社会主義者であるということはほぼ同義であったという。「民族共同体」のために無条件に奉仕すること、そしてあらゆる「ドイツ人の敵」、特にユダヤ人に対して狂信的に闘うことが、ドイツ国民に求められたのだ。

 日本のいわゆる「ネット右翼」の間でも、ナチズムを社会主義と同一視して、これを左翼批判に用いる発言が目立つようになってきたという。社会主義的・左翼的な主張を唱える者はみなナチスであって、人びとを戦争やホロコーストに導こうとする者だというわけだが、こうした粗雑な主張はもちろん歴史の実態にはそぐわない。

 ナチ党が掲げたのは単なる社会主義ではなく、ドイツ民族・国民のためだけの社会主義・民族至上主義・人種差別主義(反ユダヤ主義)と結びついた社会主義にほかならない。ナチスはマルクス主義の階級闘争や国際主義といった概念に反対し、ナショナリズムを通じたドイツの再生と膨張・侵略をはかったものだ、とナチズムの本質をまとめる。

 次に反ユダヤ主義に話は移る。
 ドイツにおいて反ユダヤ主義が広がった転機は第一次世界大戦だった。ドイツはそれまで反ユダヤ主義が強い国ではなかったという。しかし劣勢におちいると、ユダヤ人が前線部隊から逃げているせいだという噂が流れたり、第一世界大戦に敗北すると、ユダヤ人など内部の裏切り者のせいでドイツが負けたのだという噂が唱えられるようになった。反ユダヤ主義はとくに、中間層や農民、学生の間で広がりを見せていた。彼らによって作られた結社は「アーリア条項」を導入し、ユダヤ人を排除した。

 反ユダヤ主義はドイツだけではなかった。第二次大戦が終わった1956年〜1957年のアメリカでも30%のホテルは「ユダヤ人お断り」という方針を掲げていたという。大学や学校、カントリークラブでも、ユダヤ人の入学・入会を拒否していた。

 多くの人が抱いていた「社会的反ユダヤ主義」はナチ体制が推し進めた「政治的反ユダヤ主義」とは異なるもので、ナチスの反ユダヤ主義を人びとが共有していたからこそホロコーストが起きた、という議論はあまりにも単純過ぎると筆者はいう。ナチ体制下でのユダヤ人迫害は、ユダヤ人の職(大学教授、医師、弁護士)を失うことで、ドイツ人が職を得ることができた。ユダヤ人の財産は安く買い叩かれた。たとえばニベアを製造するバイヤスドルフ社は創業者がユダヤ人だったことから、競合先が「ニベア製品を買うものはユダヤ人を支援している」とキャンペーンを行った。こういうメリットと結びついていたのだ。

 3点めとして、ナチスの失業対策の成功、アウトバーンの建設、フォルクスワーゲンの開発、歓喜力行団の旅行事業などの一見先進的な政策は、さまざまなまやかしや不正、搾取や略奪と結びついていることを検証している。

 そして最後に、前述のSNSでの炎上はナチスを絶対悪としてきた政治的正しさ(ポリコレ)を押しつけられることへの反発ではないかと分析している。このような状況は、売らんかなで出版される「ヒトラーのすぐれた経済政策を見習うべきだ」「ナチスはこんな凄い発明をした」という人目を引く主張が専門家により行なわれてきたからだ。ナチスの戦争目的や人種主義、嘘や不正と切り離した「先進性」の評価はあまりに一面的で、学術的検証に堪えれるものではないと主張している。

 ナチ体制は、「生存圏」の拡大をめざして戦争の準備を進める一方で、国民の生活水準をできるかぎり維持するようにしたことは、第一世界大戦からの教訓から生まれたものだ。「ヒトラーのすぐれた経済政策」「ナチスはこんな凄い発明」 などはすべて、ナチ体制が来るべき侵略戦争のために軍備拡張を優先した結果だった。巨額の負債による軍需拡大を脱する手段は戦争にほかならず、開戦後のドイツは、占領地から徹底的な収奪することで国民向けの物資供給を維持した。

 このことをナチズム史研究者のデートレフ・ポイカートは、「ドイツ人は最初は借金で生活し、次には他人の勘定でくらした」と的確に表現いている。ここに「ならず者国家」としてのナチ体制の本質があらわれているのである。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。