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『数学を使わない数学の講義』「数学の倫理」と「教科書にある数学の問題を解く(計算)」ことはまったく別物だ(マスクドニード)

 発売当時に読んだことがあるが、再度購入し再読してみた。数学の存在問題の考え方が、人間が月へ行くことができたという論理にも大いに納得できる。異なることを結びつける能力が天才たる所以と言われるが、たった920円の本でそれを知ることができるのは驚き以外ない。

 答えのある数学の問題を以下の例に例えるユニークさにも感嘆だ。(昭和的表現に問題があるかも知れないが)

「教科書に載っている方程式の問題などというのは、いわば口説けば必ずなびく商売女を並べた昔の遊郭のようなものである。彼女たちは、その道のプロなのだから、金さえ出せばOKにきまっている。しかし、プロがくどけたといって、一般のお嬢さんまで楽々口説けると思ったら大間違いだ。

 本来ならば、中学一、二年生の段階で、方程式が必ず解を持つとは限らないということをきちんと教えて然るべき」

 赤軍派のハイジャックでの超法規的処置とミュンヘン事件の国家主権の発動の法律の集合論的認識の違い。パウロの神のものは神へ、カイゼルのものはカイゼルからに市民法集合と、宗教法集合の違い。英語のロイヤー(lawyer )とアトーネイ(attorney)の集合的違い、必要条件と十分条件など、分かりやす過ぎる。

 公理は仮説であり、数学では公理を実証する必要がない、科学は検証が必要になるなど、ありがたいことに頭が整理された。

 日本でよく経験することだが、「意見の否定」を「人格の否定」と勘違いしてしまう日本では、本来の議論ができない。批判と継承は表裏一体だ。例えば、マルクスはリカードを徹底的に批判したが、マルクスの資本論は、あらゆる意味で、リカードの敢然な継承だという分析にも舌を巻く。

 最近の本は2,000円を超えても中身がない本が多いが、これだけの内容で920円とは、コストパフォーマンス抜群だ。しかも、「数学の倫理」と「教科書にある数学の問題を解く(計算)」こと(マスクドニードの発見がスタートライン)はまったく別物だということからも自信を得ることができる。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。