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『ハンナ・アーレント』ハンス・ヨナスの存在をもっと活かして欲しかった(世界の歴史)

 映画館で観た映画だが、レコメンドされていたので再び観てみた。この映画で議論となる点は以下の2点だ。

1)アイヒマンは普通の人で、命令に従順な人だからこそ行う悪を「悪の凡庸」という
2)収容所にはユダヤ人リーダーがいて、ナチスに加担していた

 2)を書いたニューヨーカー誌の記事はイスラエルに住むユダヤ人だけでなく、世界中のユダヤ人がハンナ・アーレントに対し、裏切り者という感情を抱いた。ハイデガーの弟子として友人だったハンス・ヨナスの最後の講義の後に、アーテントに感情的になり意見する姿がそのすべてを代弁している。

 しかし、この記事が出されたのが1963年なので、フランクルが『夜と霧』を出版した1946年の10年以上後のことになる。『夜と霧』の最初のページにはユダヤ人リーダーの行いについての記述がはっきりあるので、すでにユダヤ人はアウシュビッツなどでのゾンダー・コマンドの存在は知っていたはずだ。つまり、アイヒマンと直接結びついたアーレントの記事によって、ユダヤ人が全面的な被害者としての位置づけが崩れることによる感情的なヒステリーとも言える。

 1)が「悪の凡庸」のなせることだという分析だけでなく、2)の被害者心理をも分析して、哲学に昇華して欲しかった。さらに欲をいうと、ハイデガーという同門の弟子であるユダヤ人ハンス・ヨナスもいるのだから、ハイデガーがなぜナチス党員となってしまったのか、という心理も分析して、映画に織り込んで欲しかった。

 この3つが揃うと、歴史の断面を正確に描いた映画となる。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。