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『ロシア的人間』フランス実存主義のルールはロシア文学にある(世界の歴史)

 ロシアは今日、世界の話題である。誰一人ロシアに無関心でいられない。人類の未来とか、世界の運命とか、人間的幸福の建設とかいう大きな問題を、人はロシアをぬきに考えることはできない。肯定的にせよ、否定的にせよ、誰もがロシアに対して態度を決定することを迫られている。

 全世界の目が向けられている。全世界が耳をそばだてている。ロシアは一体何をやりだすだろう、一体何を言い出すだろう、と。その一挙手一投足が、その一言半句が、たちまち世界の隅々にまでに波動して行って、至るところで痙攣を惹き起す。

 これは、ロシア的人間 ー近代ロシア文学ーの書き出しであるが、まるでウクライナ戦争のことを表したものだと勘違いしてしまいそうだ。

ロシアは普通の秤で測れない、ロシアは一種独特な国!

 と、「謎」が多いロシア。

 ロシア人の魂は、ロシアの自然そのもののように限界を知らず、たとえ知っても、あえてそれを拒否しないではいられない。『一切か、しからずんば無!』というロシア独特の、あの過激主義はこういう魂の産物である。

 井筒俊彦氏によると、ロシア文学には文学的伝統がない。19世紀の冒頭にプーシキンにより突如出現する。そして、ロシア文学の中心軸は人間にある。人間という存在を暴き出そうとする。天使なのか悪魔なのか、神なのか野獣なのか、人間とは何者か、人間は何の意味も分からずにただそこに投げ出されている存在者にすぎない、という実存主義だという。ロシア文学が後のフランスの実存主義哲学の基礎となったのは、徹底的に人間を中心に考えるところから生まれたのだろう。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。