『アメリカが最も恐れた男 "プーチン"』マグニツキー法がなぜ制定されたが分かる(環境研究)


 プーチンをアメリカ側が描いた映画だが、彼には2つの転換点があったことが分かる。

 一つ目の転換点は、レニングラードをサンクトペテルブルクに名称変更したサプチャク市長による、副市長への引き上げだ。もともとプーチンは高校を卒業後KGBに入局したく応募したが、KGBに大学に行くことを薦められ、レニングラード大学の法学部で学び、その後にKGBに入局している。その大学時代の恩師がサプチャク教授だ。メドヴェージェフも彼の教え子だ。

 二つ目の転換点は、エリツィンが病気の頃の1999年にロシアの高層アパートの3ヶ所で爆発テロがあった。チェチェンのテロリストによるものだとプーチンは自ら戦闘機に乗り込み第2次チェチェン紛争を指揮する。これにより、テロリストとの戦いに勝利した首相という国民からの強烈な支持を得られた。しかし後に、高層アパートの自爆テロはFSB(旧KGB)の自作自演ではないかと言われている。

 またこの映画で知ったことだが、日本でも制定が急がれるマグニツキー法のマグニツキー(セルゲイ・マグニツキー)はロシアで巨額横領事件を告発した弁護士で、それが原因で一年以上モスクワで拘留されながら暴力を受け続け、2009年に37歳で獄中死した人なのだ。アメリカはこの事件を受け、2012年、関係者のビザ発給禁止や資産凍結を行うマグニツキー法を制定したとのこと。

 ロシアの権力構造におけるFSB(旧KGB)の果たす役割が手段を選ばないが故に、かなり大きいことがこのドキュメンタリー映画で分かる。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。