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『イスラエル 兵役拒否者からの手紙』イエシュ・グブウル(限界がある)の意義(世界の歴史)

 先進国の軍隊はほとんどが志願制だが、イスラエルでは戦前と同じように徴兵制がしかれている。しかも、良心的兵役拒否の仕組みがないため、兵役を拒否することは法律違反となり、罰されることになる。イスラエルの場合、女性にも兵役義務があるが、実戦部隊に配属されることが少ない。したがって、この本に掲載されている手紙はすべて男性のものだ。

 イスラエルで兵役を拒否する人は、2002年の段階で1,000人を超えたという。兵役拒否をする人たちの選択的兵役拒否運動は、ヘブライ語で「限界がある」を意味する「イエシュ・グブウル」と呼ばれている。選択敵兵役拒否運動の根底には、ユダヤ人の経験も反映されている。「命令に従うだけ」の兵士の手によって、600万人ものユダヤ人が悲惨な運命を歩むことになったからだ。

 第2次インティファーダ時代のイエシュ・グブウルの拒否宣言では「ここに署名した我々は、イスラエルの国防軍兵士である。我々は、占領地でパレスチナの人々への継続的な弾圧に加担しないこと、そして結果としてパレスチナの人々を弾圧することとなる入植地での警備や防衛には関与しないことを宣言する」とあり、数百名の予備役兵の署名を集めた。また、実用手引書として「占領地での任務を拒否するために」という小冊子まで作り、イスラエルのバス停で配布しているようだ。

 ここに掲載された手紙には、イスラエル軍への参加を断固拒否するのは、ユダヤ人として、人間としての義務であり、大虐殺の犠牲となった民族の子としての兵役拒否が綴られている。兵役拒否のため2002年に投獄されたイーガル・ブロウナー氏の次の言葉で本書は終わる。

 私たち拒否者は、占領に加担しないときっぱりと宣言した。占領とは他者に屈辱を強い、その人間性を否定する行動である。これに対して厨房での仕事はなんと正々堂々とできることか。獄中にあって、孤立し、帽子をかぶり、沈黙し、皿を洗って、玉ねぎの皮をむくことの方がマシなことは言うまでもない。亡霊のように現れる占領に涙を流すより、次々と皮をむき続ける玉ねぎで涙に濡れる方を、私は選ぶ。

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