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"Matsuzaka Generation"

甲子園~ソウル

 松坂大輔を初めてライブで観たのは、横浜高校が春夏連覇をすることになる1998(平成10)年夏の甲子園2回戦。杉内俊哉からホームランも打って快勝した鹿児島実業戦だったか。

 その1年ちょっとあと、ソウルまで行ってシドニーオリンピックのアジア予選にも行くことになるとは想像できなかった。

 古田敦也、野村謙二郎、松中信彦などプロ選手が初めて国際大会に出場、西武のルーキーで、19歳になったばかりの背番号18も、チャイニーズタイペイ戦で完投勝利した大会だ。

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 東出輝裕、藤川球児ら同じタイミングでプロ入りした選手も多かったが、杉内俊哉や和田毅、村田修一ら社会人や大学を経て3年後、4年後にドラフトを迎えた"同級生"たちもまた、豪華だった。

 そんなドラフト候補といわれた有望な《松坂世代》たちの写真をおさめるために、あちこちへ飛び回った頃が、ちょっとなつかしい。

遠い「名球会」

 日米通算で、投手は200勝あるいは250セーブ以上、野手は2000安打以上が入会基準の【名球会】に、松坂世代の加入が意外にもまだゼロ、ということを残念に思い、こんなことを昨年春にボソボソ言ったが――

 好選手を数多く輩出した1980(昭和55)年度生まれの面々も40歳を超え、当の松坂本人も今季現役を退くことになったように、ほとんどが引退した。

 松坂は日米通算で170勝。

 2017年を最後に引退した村田修一が、「あと135」となる1865安打。昨年がラストシーズンだった藤川球児は、「あと5」で250に達する245セーブだったが、スパッと引退を決断した。節目の大記録に最も近づいていたこの2人を超える可能性を持つのは、和田毅のみとなってしまった《松坂世代》の現役選手。

 ソフトバンクでプレーするサウスポーは日米通算143勝(10月20日現在)、大記録まであと57勝だ。可能性高いとは言えないけど、気にしつづけていきたい…かな。


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