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『君たちはどう生きるか』鑑賞メモ

話題のジブリ映画を観てきたので、忘れないうちに感想を残しておきたいと思う。

※ネタバレ含みます。








漫画でもドラマでも結末ありきで鑑賞したいタイプなので、今回に関しても、いくつかレビューを読んである程度踏まえたつもりで向かった。

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母を亡くした主人公が、新しい環境に馴染めず孤立している→青鷺に、大叔父が総べている異界?へ案内される→そこで実母や継母と会い、なんやかんやで継母を母と認める→異界を継げと大叔父に言われるがなんやかんやで異界自体が崩れる→元の世界に戻る

ちなみにタイトルにもなっている同名小説については読んだことがなく、『人は誰かと繋がって生きているのだと少年が知る話』なんだろうなというのをざっくりネットで嘗めた程度である。

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最初の火事シーンで、ふと思った。
これ、ストーリーを理解できなくても良いやつ。

他人(宮﨑駿)の見ている夢を、覗く感覚で良さそうだなと思った。主人公目線で火事の最中に走る場面の、視界に映る景色のピントの合わなさ、視野の頼りなさ。脇目も振らずに走る描写の、脳みそが煮えたくるようなゆらぎ方。

妙にリアルに感じると同時に、これは私の話ではないと、感情移入するような話でもないと、はっきり理解した。隣の夫は、終始首を傾げていた。

夢特有の突拍子もない展開や、夢うつつの気持ち悪さを他人と共有できる面白さ。
アトラクションのような映画だと思った。

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頭の中を映像化できる才能に心底惚れ惚れした。おかしな世界観にあっても、濡れた絆創膏が剥がれたり張った帆が風を受け止める描写は、ちゃんと私が把握してる世界の法則に則っていて安心もした。
地に足の付かない不安さと、こういった「判る」描写の不安定なバランスがとても楽しかった。

ワラワラがわらわら出てくるシーンは、可愛いもの好きの息子に見せたかった。パンフレットを買って開いたら後ろ姿しか載ってなくてマジかと思った。
ペリカンに屠られるシーン含めて見せたい。
円盤化を待つ。

生まれるために空へ旅立つワラワラ、生きるためにワラワラを食らうペリカン、それを阻止するためにペリカンを殺すヒミの炎。綺麗な弱肉強食。
そこに、巻き添えをくって燃えるワラワラを助けたくてヒミに文句をつける眞人、力尽きたペリカンを埋葬する眞人、という異物感。
あの世界はもう壊れるのが必然だった。ヒミが元の世界に帰るために、眞人が夏子を連れて元の世界に帰るために、夢から醒めるためには壊れないといけなかった。

夏子は眞人の大怪我がきっかけでナーバスになりあの世界へ籠った。ヒミも神隠し当時は何かナーバスになるきっかけがあったのかもしれない。
眞人は青鷺に唆されずとも、夏子が消えずとも、自ら赴いていただろうなと思う。

本を読みすぎて頭がおかしくなったと言われる大叔父にしろ、神隠しが一族に伝わる特殊能力だとしたら、眞人の弟は大丈夫かしら。(妄想です)

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7人のババア、良かった。宮﨑駿ってジジババ可愛く描くよね。
キリコは神隠し後に一味に加わったんだろうな。
彼女が眞人に「夏子がいないほうがいいと思ってるんだろう」と言うところ、我が身可愛さが露呈してて面白かった。誰を犠牲にしても生きたい本能。

キリコ、大叔父が持ち込んだ人間なのかどうかはわからないけど、あの世界って加齢の概念なさそうだから最初からあの姿であの役だったんだろう。
大叔父はかなりヨボヨボになってたけど、あれは精神的摩耗による劣化という気がする。

誰かの滋養になる以外の死が存在しない世界で、自分のために狩猟できない弱者はどう生きるか?
飼育されるしかない。キリコは飼育員。

キリコは包摂性がないから扶養者にはならない。
彼女が包摂性を持った青年だったらあの世界は回らなかったと思う。ヒミのために大叔父が用意した?夏子への無関心さのようなものの根っこはそこ?

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あの世界は理想郷だった。悪意もそれに伴う死もなかった。だからインコは増えすぎて不満を溜め、積み木は限界を越え、眞人は大叔父の創作にハマらなかったから打ち切りになった。
そこに持続可能性はなかった。

『ワレヲマナブモノハシス』
は、眞人のバッドエンドルートだった。

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総括としては、また観たくなる映画だなと。
深読みしようと思えばいくらでもできるのかもしれないけど、シンプルにエンタメとして面白かった。
子供たちにも観せたいんだけど、120分を映画館では厳しいかな…

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