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音楽室のゆうれい

小学校が、古い木造校舎からピカピカの鉄筋コンクリートに建て替えられたのは私が入学する前の年のことだった。
なので私はギシギシいう廊下も、薄暗いトイレも経験することなく綺麗で日当たりの良い校舎で小学校生活を始めることができた。

新しい校舎で私がことさら気に入っていたのは音楽室である。
吹き抜けの玄関ホールを抜け、正面の大きな階段を2階へ上がる。上がった先を左へ曲がると右手に視聴覚室、左手に音楽室、突き当たりには図書室があった。
うすだいだい色のカーペット敷きの床が、映画館のように段々に階段状になっていて、そこに机がわりのオルガンが並べてある。黒板の横にはつやつやした黒いピアノ。カーテンはピンク。そして窓からは海が見えた。
オーシャンビューなんてものじゃない。謂わばオーシャンフロントだ。
天気のいい日には青い水面がキラキラとひかり、嵐の日には海に落ちる雷が見える。
そんな音楽室で、真新しい教室に不似合いな使い古されたオルガンの蓋に頬をつけてぼんやりと海を眺めた。見慣れたもののはずなのに、なんだかとても特別なものに思える。そんな瞬間があるのだ。

ある晩のことである。
私は家の2階の窓から小学校の音楽室を眺めていた。
音楽室に煌々と明かりが灯っている。一体だれがいるのだろうと、幼い私はじいっと目を凝らした。そうしていると、なんとなく微かにピアノの音が聴こえてくる。
外は真っ暗で、音楽室だけが四角く浮かび上がっているように見えた。
私の家がいくら小学校の目と鼻の先だからといって、音楽室のピアノの音が聴こえてくるだろうか。もしかすると、私の記憶が都合よくロマンチックに改ざんしてしまったのかもしれない。
それとも、夏だったのだろうか。迷子になったピアノの音が風に乗って開け放った窓から入ってきたのか。とにかく私はしばらく夜に浮かんでいる音楽室をじっと見つめていたのだった。

翌朝、私は母に昨晩のことを話したが「先生がピアノの練習してたんじゃないの」と言われて”そうかなるほど”と頷いた。
頷きはしたが、あれはきっと音楽室のゆうれいだったのだと、幼い私はこっそりと耳打ちしてくる。

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