介護地獄に陥らないために 22
今直面している介護問題を書き記します。
父88歳。母84歳。
実家のすぐそばに父の姉、95歳の叔母が一人住んでいました。
簡単に叔母の紹介をすると、ご主人はすでに20年ほど前に他界され、息子の二人ともが高校生の時に、長男は雪山でスキーをしていて遭難にあい死亡。次男は白血病になり死亡。そんな切ない過去を持ち一人この年まで暮らしていました。足腰はいまだ健在で、5キロ離れたところでも歩いて往復できるだけの体を持っています。ただ、お金のことなど不安があり今後のことを考えた方がいいと私が言い出したのが、この567が始まる前あたりのことでした。
叔母は昔から頑固で言い出したら絶対に変えない性格だったらしく、年齢を重ねても同じくで、もちろん聞く耳を貸さずに独居生活をしていました。
そんな中このご時世になり、ワク○ン摂取をするなといったにもかかわらず両親は3回づつ摂取。年も年なので、私もそれ以上は止めずにいました。
が、悲劇はここからスタートしました。
父はまだその時には、鍵屋として毎日あちこち飛び歩くほど元気な人でした。老夫婦というものの、日曜以外は毎日店を開けて二人で生活をしていたので、何も心配するどころか、80過ぎて自分たちでお金も稼ぎ生活できる2人を尊敬していました。
そんな時です。
ワク○ン摂取一週間後のこと。
母から電話が鳴りでてみると、「父さんが救急車で運ばれた。」とのこと。慌てて病院へ行くと、仕事中石につまずいて転んで、横にあった大きな石で頭をぶつけて、頭や顔からかなりの出血をして何針か塗ってありました。幸い近くを通った方が救急車を呼んでくれたので、このくらいで終わったのですが。
とりあえずその日は、出血が収まったところで帰宅しました。
まだ元気だった母がいるし、様子を見ても食欲はあるし何とかなりそうだとほっとしていました。それから数日は実家に通い様子を見ていましたが、1か月ほどで怪我の後もあまり目立たなくなり一安心。そのあたりから実家に通うこともあまりしなくなっていたのですが、2か月ばかりすると膝が痛く肩も痛くてつらいとのこと。とりあえず、マッサージをすると肩はすぐに動き服も一人で切れるようになりました。膝は痛いけど、サポーターをしてマッサージオイルを作ったものを自分で塗らせてなんとか生活もできていました。
それから少しづつ歩くことが困難になり、店へ行くことができなくなり3か月前から自宅で寝たり起きたりと歩くことをしなくなりました。電話で聞く限り大きな変化がないし、整形には定期的に通っていて見てもらっているとのことでしたので、まぁ年齢的なこともあるのかと様子を見ていました。
そして2週間前に自宅へ行った時には、トイレに行くにも数十分もかかるし手足がむくんでいるじゃないですか?
「これ整形でなんて言われているの?」
「検査してもらったけど年齢的なものかって感じで、マッサージをいつもしてくれるんだ。」
いやいやちょっと待ってください、これは普通じゃない。
そう感じた私は、目の前の医者にお願いして往診してもらいました。
先生曰く、多分リウマチ系だと思うけどしっかり調べてもらった方がいいから今すぐ紹介状書くから言ってきてとのこと。
それからあれよあれよという間に、検査入院が決まりました。
3か月も通って検査をしたという整形は何を見ていたのでしょう?
年寄りだから仕方ない… プロですよ、って怒りも出てきたり。
そんなこんなで、父はただ今検査入院中です。1週間近くたちますが、確定病名がつかず、ドクターたちがあれこれ思案してくれています。最悪、何秒指定かもという見解まで聞いています。
さて、ここでまたまた大変だった叔母の件もお話ししましょう。
567の前までそれなりに元気で、わたしも理解していた叔母は、時々認知症らしき場面が出てきたので、行政に入ってもらって対応してもらった方がいいと何べんも行ってきました。それなりに行政にいっても、
「ご自身が健康で寝たきりでもないしせいかつもできているようですし…」と取り扱ってもらえなかったらしい。
そんな中、警察から電話が母のところに。
どうやら、スーパーで買い物をしたときにお金は持っているんだけど支払い方がちょっと変だと感じた店の方が警察に連絡してくれたそうです。そして警察が名前や住所を聞いたところ分からずに、父が作ったお守りに父の住所が書かれていて、連絡が来たというわけです。
これで認知症の鑑定をもらえるはずだと、警察から行政へ説明してもらいやっとのことで、要介護1の認定が決定した数週間前。
そして、今後のことを考えてるうちにまたまた叔母は買い物へ行く途中熱中症で倒れ病院へ救急搬送。これはもう家に戻すことはできないからとやっと探したグループホームへ入所が決定したのが、父の入院日。
つまりは、車にも乗れずに心臓手術をしている障害手帳を持つ母ができることはほぼなく、結局は父の入院と叔母の手続きはわたしと主人が手分けしてやることに。
そんなバタバタの中、多分母のストレスもMaxになったからでしょうか、一気にボケが始まりました。手続きをしようにも話が通じなくなる。ボケてはいない父は病院で会えずに話せない。
これが老老介護の実態です。
この1週間、父と叔母のこと以外何もできないほどに時間を拘束され体力も奪われ、そういう私たちも還暦マジか。
民生委員として2期目ですが、ちょっと他人事と思っていたことが自分の身にあっという間に降りかかる恐さ。脳へのストレスがどれだけ人間を壊していくのかを目の当たりにしています。
一番の救いは、叔母の施設のケアマネさんが本当に丁寧親切でありがたいこと。そして父の担当医がとても丁寧に対応してくれることです。
叔母はこのまま最期を施設で向かることになるでしょう。
これから家の整理も始まりますが、とりあえずここで一区切りです。
あとは父の病が今よりも楽になり、生活がもっと楽しくなるように退院してくれることを祈るばかりです。そして何よりも、一人でいる母はその間だけでもしっかり休んで、体力をつけておいてほしいです。
今回のことで学んだことは、「自分は大丈夫」と高をくくらないこと。
そして、必ず誰かに迷惑をかけてしまうのだから、動けなくなったり困ったなら早くに誰かの助けをお願いすること。
からだのことを安心して相談できるプロと繋がっていることも大切です。他の記事に野口整体のことも書いてますが、自分の體は自分で責任を持つです。それでもダメな時にはプロがいます。何をするかではなく誰とが大事になった新しい水瓶座の時代。今までの常識取っ払って、大切なことをもう一度各自見つめてください。
そして改めて、健康で最後まで生き抜ける人を育てる仕事をもっと丁寧にやらなくてはと感じていることです。
50~75歳で筋肉は25%落ちるともいわれています。
有酸素運動ではなく、筋トレをすること。
自分のことをまずしっかり理解して、自分に合ったものをしっかり認識して人と同じことではなくて自分の体の為に運動することです。
これが認知症はもちろん、ガン予防になるエビデンスもあります。
水中運動をもっと推奨して、仲間とともに楽しく運動して健康な人を一人でも多く増やします。
○ここから力を注いでいくこと
・オンライン寺子屋體に大切な学びをupし続けること
・水中運動の推進
・小さい楽しい仲間のコミュニティをつくること
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・子育てママを支えること
カラダとココロを学び続けて40年。
まだまだ未熟ですが、プロでありたいと今日も学び続けます。
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あちこちから聞こえてくる不安ばかりに目を向けず、
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