一生を健康で生きるということ 40
人生100年時代と聞いて皆さんはどう感じていますか?
コ〇ナが騒がれ始めてどの位が経つのでしょうか?街に出ればマスク姿が当たり前の世の中。今保育園の年長さんは、保育園に入った時にはすでにマスクがつけられていました。先日、お話しした園長先生が言ってました。
「昔は子供たちが先生の顔を覚えて名前を呼ぶんだけど、最近はなかなか名前がわからないの。それはね、マスクをしているでしょ。だから表情とか雰囲気がわからないようなのね。」と。
この話を聞いてわたしはちょっと怖くなりました。確かにマスクをとると、「えっ、損顔しているんだ。」って全然違う顔だったりすることあるじゃないですか⁉ ましてや、マスクをしていれば表情なんてわからない。だから笑っているのか怒っているのかさえ分からないんですよね。
こんな世の中が当たり前になって、小中学校ではマスクは義務化ではないため、マスクを外してもいいと説明しても、半数以上はマスクつけることを希望しているそうです。理由は様々ですが、「めんどくさい」「はずかしい」「手を抜ける」など。人と人が面と向かって顔を見ながらちゃんと会話できる日が来るのでしょうか?今とても不安なことの一つです。
わからないことへの恐怖
騒がれ始めたころには、コ〇ナというものがどういうものかもわからないために緊張が走りました。情報をgetしにくい人は、毎日あふれるテレビや新聞や雑誌からの情報を鵜吞みにして、街中が「コ〇ナは怖い」という風潮一色に染まりました。
わたしは以前から健康に関して学びがありましたから、その時にもちゃんと学ぶべき場所や人がいたため、しっかりと聞いて見て自分の中で判断して行動をしていました。
ここからの話は個人の持論です。
わたしはワクチン接種を打っていません。理由の一番は「健康の體にわざわざ必要ないものを打つ必要がない。」からです。自分が重病者だったら考えたかもしれませんが、少なくともその理由からわたしも家族も打っていません。
この考えに至る理由として、娘が中学生の時に行政から送られてきた子宮頸がんワクチン接種のお知らせ。行政からの便りには、摂取場所と日時が記載されてあくまでも摂取する前提の書き方でした。
そこで、子宮頸がんワクチンについて産婦人科の友人に聞きワクチンについて学ぶことをしました。
その時の学びとして私が理解したのは、
・ワクチン接種は効果があっても2年くらい
・性行為がないのであれば必要ないもの
という2点から中学生の娘に打つ必要性を感じませんでした。そしてそのことを、送られてきた接種と合わせて娘と話し合いました。注射嫌いの娘は元論接種にNO。結果摂取しないことを我が家では決めて行きませんでした。
その後志から電話が来て、市内で摂取していないのが娘だけだそうですぐに最寄りの病院へ行くように促されました。それでももちろん、摂取にはいきません。
そうこうしているうちに、ニュースでこのワクチン接種の為に体に不調が出たり、中には死亡したことも告げられてきました。そんな数か月たった時に、再度行政から便りが届きます。
「子宮頸がんワクチンは、個人の選択による任意接種のため強制的に打たなければならないものではありません。」
という内容のものでした。
娘に聞くと、同級生の子が生理が来なくなったりしてることを聞いたそうです。どこまでがこれに関わっているかはわかりません。
でも一つ言えることが、行政からの便りで無料だからととりあえず打つというものがワクチンではないということです。
摂取するしないのどちらが正しいという話ではなくて、まずはその者をしっかり自分の頭で学ぶこと。そしてそれが、自分にとって本当に必要なものかを見定めること。それからもう一つ大切なこと、摂取する本人の意思表示が必ずあることです。
もう一度、立ち止まって考えてみませんか?
あなたの體を守れるのはあなたしかいないのです。
人生の中でたぶん、「健康」があればきっと楽しく最期まで生きることができるのではないでしょうか?
わたしはそう思っています。
お腹の中で死なせてしまって死産した息子、
心肺停止したにもかかわらずもう一度生きるチャンスをもらえたこと、
それらを踏まえ、體と心が自分らしく輝くお手伝いをしています。
自分の體は自分で守る!
だからこそ、もっともっと體のこと心のこと命のこと、みんなで考えディスカッションして生きていけたらと思っています。
沢山あるnoteの中で、これを目にしてくださったあなたに心から感謝いたします。
どうぞ、このイノチがお役に立ちますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?