救急看護と蘇生

心肺蘇生は、救急看護の現場ではおなじみのことばですが、蘇生の「蘇」という字は、訓読みでは「よみがえ」る。死んだ者が生き返る、衰えたものが復活するという意味で、そのことばのルーツは『古事記』にあると言われています。


『古事記』は、721年に編纂された日本最古の歴史書で、記憶の天才・稗田阿礼(ひえだのあれい)が暗記していた天皇の系譜や伝承を太安万侶(おおのやすまろ)が書き記した、とされるもの。天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの、さまざまなできごとや神話、伝説などが記載されています。


その中でも代表的なものの一つが、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)・伊耶那美命(いざなみのみこと)という二柱の神様の結婚による国作りの神話です。古事記を読んだことがない人でも、この2柱の神様の名前は耳にしたことがあるのではないでしょうか?


神代(かみよ)の時代、天上の高天原(たかあまはら)から見下ろすと、下界はまだ生まれたばかりで、海の上を、何かどろどろ、ふわふわとした、くらげのようなものが漂っているようなありさまでした。


天上の偉い神様たちは、話し合いの末、イザナギ・イザナミという二柱の神様に聖なる矛を授け、あのふわふわどろどろとした下界をしっかりと固めて、国造りをするよう命じました。そこで二人は、高天原から地上へとつながる天浮橋(あめのうきはし)に立ち、聖なる槍の先で、どろどろとした下界をかき混ぜました。それからすうっと矛を引き上げると、その先からぽたぽたと落ちたしずくがみるみる固まって、一つの島ができあがりました。


イザナギとイザナミは、さっそくこの島へ降り立ち、聖なる太柱と寝殿を建て、結婚の儀式を行いました。そうして、二人の間に最初に生まれた子どもが淡路島。その後、四国や九州、本州など、たくさんの島々が生まれ、日本列島ができ上がりました。


島ができると、次にイザナミはそれぞれの島を治める神様を、さらに続けて石や土の神、家の神、風の神、川や海の神、山の神など、たくさんの神様を生んでいくのですが、火の神を生んだことで大やけどを負い、死んでしまったのです。


嘆き悲しんだイザナギは、ある日ついにがまんができなくなって、地の底にある暗く恐ろしい死者の国=黄泉(よみ)の国へ、妻イザナミを迎えに行きます。しかし恐ろしい姿に変わり果てた妻を連れ戻すことはできず、それどころか自分自身も捉えられそうになって、命からがら逃げ帰って来ました。
この話から、人が一度行った死者の国=黄泉から帰って来ることを、「よみがえり」と言うようになった、と言われています。


救急看護に携わっていれば、この蘇り(黄泉返り)を目にするのも珍しいことではありません。もちろん救命のプロフェッショナルたちが力を集結して心肺蘇生を行っているのですから、たくさんの人に蘇ってもらわなければ困ります。


しかし救命救急センターに勤務していたとき、どう考えても死は避けられないと思われる状況にある人が蘇生し、反対にこの状況でこれだけやって、なぜ蘇生しないのか?と不思議に思う場合もあって、私には、そこに人智を超えた大いなる力が働いているように思えて仕方ありませんでした。


二次救命処置は高度な医療技術であると同時に、人が人に対して施す究極の救済行為である、と私は考えます。救急看護師は、今まさに生死の狭間のある人に対して、ごく短い時間で的確な観察と判断を行い、素早く診療の補助を行います。このときの「時間」は、まさに目の前に横たわる人間の「命」そのものです。


患者に対して救命処置を実施している際は、ほとんど無我の境地で自分に与えられた使命を迅速に、的確に、そして最大限に果たすことに集中しているだろうと思います。この「無心」になってひたすら使命を果たしている瞬間を、神道では「神人合一」と呼んでいます。人が「我」を忘れて、神様と一体になる瞬間です。そしてその深い集中によって、ときには不可能と思えることも、自分の能力を超えたことも、可能になる場合があるのです。


救急看護の技術をもった人間として、目の前で失われようとしている命があれば、私たちは無心になり、全力を尽くして救おうと試みます。しかしときには、助けることが果たしてよいことだったのかどうか思い悩み、心が痛むような事例もあります。ほんとうの意味で、人は人を救ったり、幸せにしたりすることができるのでしょうか?


ちっぽけな私たちにできることと言えば、神様からいただいた使命を精一杯果たすこと、そして苦しむ人の心に寄り添ってあげることくらいです。そしてだからこそ、私はいつも「人を助けてやった」のではなく、「人を助けさせていただいている」「神様が人を助けるお手伝いをさせていただいている」と考えます。


一度消えかかった命が、私たちの助けで再びつながることは確かにあります。しかしその命がもう一度輝き始めるのは、人の技術を超えた、その人がもつ生命力そのものの力ではないかと思うからです。



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