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お盆


「穂見祭」という言葉をご存じでしょうか。
 これは神道の「ぼん祭」、つまり「お盆」のことです。「穂見月(ほみつき)」は稲穂が見える月のことで、文月(ふみつき)がその語源であるともいわれています。現在の7月がその時期にあたり、田んぼを見れば、一面の青い穂に覆われている光景を目にすることができるでしょう。
「穂見月」を言霊学から分析すると「穂」はハ行で「ヒ」に通じ、ヒは「火」や「霊」とも書きます。これらの文字は霊魂を意味するため、霊魂に会うための月であるという解釈もあります。「ぼん祭」は、稲穂の見える穂見月に行うお祭りなので、「穂見祭」ともいうのです。
 
お盆の期間は、7月13日~15日になります。神道では、この期間は「霊界の扉が開く期間」であり、そこを通って霊界からご先祖様が帰ってくるといわれています。
民俗学者の上野誠氏は、「日本人の祖霊とは他界と現実世界を自由に往来することができる存在である。」「決められた<時>と<場所>において、他界からやって来るものとは交流するものだった」(『神葬祭総合大事典』)といっています。

お盆というと仏教の供養だと思っている方が多いかもしれません。お盆という呼び名は、仏教の盂蘭盆(うらぼん)(陰暦7月13日~16日の4日間を中心に行われる、祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事)の略語といわれています。しかし、お盆の行事の内容自体は、神道が行ってきた祖霊様を迎える「ぼん祭」に由来しています。お盆は、お正月と並び、日本民族の信仰心を培ってきた原点ともいえる行事なのです。
お盆という言葉は、祖霊様へのお供え物を祭(まつり)盆(ぼん)(祭事用のお盆や三方)に載せて、霊前や奥津城(お墓)前に供えることに由来しています。

●神道のお盆の過ごし方
7月13日:「迎え火」=奥津城(お墓)に参拝し、夕方に「送り火」を家の門前で焚きご先祖様をお迎えします。
7月15日:「ぼん祭・中元祭・穂見祭」=産土神社の神職を迎えて「みたま祭」を行う
7月16日:「送り火」=夕方に「送り火」を家の門前で焚き、ご先祖様をお見送りする
※「迎え火」や「送り火」をせずに、「迎え団子」と「送り団子」を供えてこれに代える地方もあります。

東京や一部地域では、新暦の7月に行われていますが、全国的には8月(旧暦の7月)に行われることが一般的です。また、亡くなった日から1年以内のお盆を「新盆」といいます。

霊界から「みたま」が帰ってくるのは、言い伝えからもうかがい知ることができます。「お盆の時期は水(海や川)に入るな。足を引っ張られるぞ」 といわれたことがある人は多いのではないでしょうか。科学的に証明することはできないのですが、私にはただの言い伝えだとも思えません。長年、海岸救護所で日本赤十字社水上安全法指導員を務めた経験上、お盆に水難事故が多くなる傾向は確かにあるのです。
霊界の扉が開き、お盆に帰ってくるのは、子孫からお祭りを十分に受けている「みたま」だけではありません。お祭りを受けることができず、不安定な「みたま」も救いを求めてこの世にやってくるのです。その「みたま」は、この世を彷徨い、地縛したり、誰かに憑依することもあります。それにより、事故が誘発されると私は考えています。

祖霊祭祀のお祭りは、穂見祭(お盆)だけではありません。日本人は儒教や道教、仏教が渡来する以前から、お正月、年2回の日願(彼岸)にも手厚い祖霊祭祀を行い、子孫が繁栄し、「縦の命」が末永く続くことを祈り続けてきたのです。
先祖祭祀というと仏教をイメージするかもしれませんが、インド本来の仏教には、先祖祭祀という考え方はありませんでした。日本に渡来することで、神道が大切にしてきたわが国固有の先祖祭祀を取り入れ、姿を変えて現在にいたったのが日本仏教なのです。

お彼岸は本来、「日願(ひがん)」と表記します。一年で昼と夜の時間がまったく同じになる、「春分の日」と「秋分の日」がお日願の中日であり、その前後3日間を日願といいます。農耕民族である日本人は、古来からこの神秘的な期間をとても大切に思い、春は五穀豊穣を祈り、秋は収穫の感謝の祈りを神々様に捧げてきたのです。

なお、皇室では、春分の日には「春季皇霊祭」、秋分の日には「秋季皇霊祭」が行われます。皇霊祭とは、宮中で歴代の天皇を祀る先祖祭で、皇霊殿で行われています。皇室は、萬世一系「縦の命」を脈々と繋いでこられ、今上天皇で第126代を数えます。世界に類を見ない王室・王族であり、最古の歴史と権威を有する男系男子の皇統なのです。


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