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二重らせんの謎

「二重らせん構造が出来るということは、ギブズエネルギー変化、
            ΔG = ΔH - TΔS
が負になっているということ。系から乱雑さが失われ、エントロピー変化が負になっている以上、エントロピーΔSの損失を超えるだけのエンタルピーΔHを獲得する必要があるわ」
「生命と非生命の間はなんなのかしら」

上記は物語中に出てくるセリフの抜粋です。
物語風に書いてみました...・ω・...
だ、大丈夫かなぁ...?・ω・?


設定:勉強専門の執事としてバイトをしている僕と大学受験を目指すお嬢様の授業の休憩中の一幕。

僕:博士後期課程に通う大学院生。専門は分子生物学。
お嬢様:大学受験を控えた女子高生。理系。化学や物理は好きだが生物は嫌い。

それではどうぞお楽しみください!
もしよろしければこちらも(ノ)・ω・(ヾ)
ついったーゆーちゅーぶしつもんばこ
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「おかしいわ…ねぇ。ちょっと」
採点作業をする僕にお嬢様は話しかける。

「何がですか」
僕は答える。

「DNAの二重らせんよ」

「と言いますと」

「二重鎖らせん構造っていうのは、2つのDNA分子がらせん状に絡み合うことで出来てるわけよね」
採点作業をする手を止めて僕は振り向いた。

「2つの分子が1つになる、自己組織化っていうのかしら」

「はい」

「それってつまり、系から乱雑さが失われている。つまりエントロピー変化が負になっているってことじゃない」

「ふむ…そうですね」

「おかしいわ。授業では二つの鎖の間で水素結合が出来ることでその構造は安定化されていると聞いたわ」

「…」
「間違いでは...ないですね」

「二重らせん構造が出来るということは、ギブズエネルギー変化、

ΔG = ΔH - TΔS

が負になっているということ。系から乱雑さが失われ、エントロピー変化が負になっている以上、エントロピーΔSの損失を超えるだけのエンタルピーΔHを獲得する必要があるわ」

「おっしゃる通りです」

「DNA分子は別にもう一方の分子と水素結合を作らなくたって、周りにたっくさんある水分子と水素結合を作ればいいわけじゃない。ということは、二つの分子の間で水素結合を作ることは二重らせんを作るためのエンタルピーΔHを獲得するためには不十分なんじゃないかしら。いいえ、ほとんど寄与しないといっても差し支えないんじゃないかしら。ねぇ。どうなのよ。」

「なるほど。するどいご指摘ですお嬢様。流石です」

「ふん」
尊大な態度で胸を張っている。自身に満ち溢れた表情だ。

「褒めたってあなたの給料は上がらないわよ。どうなのよ。教えなさいよ。答えは知っているんでしょう」
すぐに怪訝そうな表情に戻り僕に問う。

「はい。とまでは言い切れませんがある程度の説明は出来るかと思います」

「そう…で、どうなのよ」

「ではまず、DNA二重らせん構造を思い浮かべてみてください。先ほどお嬢様が仰っていた、二つの鎖の間で水素結合を作っている、ということ意外になにか特徴はありませんか」

「…いきなり答えを聞いたって面白くないものね。そうね…」
先ほどまでなびかせていた美しい長い髪をぴたりと止め、目を閉じ考えている。

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図1 DNA二重らせん構造の模式図

「そうね…二重らせんと言われると、ねじれていることや水素結合を作ることに目が行きがちだけど、案外奇麗に…何て言ったらいいのかしら、らせんの中心に軸があるとして、そこに対して垂直に塩基対が奇麗に積み重なっているように見えるわ…まるで螺旋階段の踏み場のように…のぼっていけそうね」

「流石ですお嬢様。良いところに目を付けましたね」

「だから褒めたってなにも出ないわよ」

「ご指摘の通り、二重らせん構造の特徴の一つに塩基対が奇麗に積み重なっていることが挙げられます。これが二重らせん構造を安定化させる要素の一つです。塩基対の構成要素、塩基は芳香族化合物、環状不飽和有機化合物ですね」

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図2 塩基対

「そうね」

「芳香環をコインのように積み重ねたような配置にすると安定化する傾向があるのです。これをπ-π相互作用、スタッキング相互作用と呼びます」

「なるほど…聞いたことはあるような気がするわ…」

「先ほどお嬢様が奇麗に積み重なっている、と仰いましたがまさに積み重なる、スタックすることが安定化に重要な要素の一つなのです。」

「なるほど。じゃあ二重らせん構造を作るために必要なエントロピーΔSの損失を超えるだけのエンタルピーΔHの獲得は、塩基の積み重なりによって獲得されているわけね。納得だわ」

「いいえ。大きな要素であることには間違いありませんがまだ不十分です」

「なによ」

「今度はそうですね…化学的な観点から特徴をもう一つ考えてみてください」

「わかったわ」
お嬢様は手慣れた手つきでDNAの化学構造を書いた。

ようつべ-01

図3 DNAの化学構造

「早いですね」

「生物は嫌い…苦手…いやよくわからないけれど化学は好きなの。だから早いのかしら。ねぇ。石ころからこのシャープペンシル、そしてあなたと私を含めて全ては化学物質、分子で出来ているけれど、このDNAの分子がどう生命になるのかしら。生命と非生命の間はなんなのかしら」

「…特徴は見つかりましたか」

「…」
お嬢様はどんな時も自身満々に見える凛としたお顔立ちのお嬢様が、どこか自信なさげな、不安げな表情で僕を見つめた。

「これって…」
さっきの表情から一転、いつもの凛とした表情に戻る。

「お気づきになられましたか」

「えぇ。最初私は、二重らせん構造が出来るのに自己集合によるエントロピーの損失があるから何らかの方法でエントロピーを獲得しなきゃいけない。と言ったけれど、エンタルピーΔHの損失もあるじゃない…これがさっきあなたが言った、スタッキング相互作用だけでは不十分だと言った要因ね」

「そうですね」

「DNA分子中のリン酸基…リン酸基のpKaはたしか2と3の間位…ということは、体の中では各々のリン酸基が-1の電荷を持っているということ。これはつまり、二重らせん構造が出来るときには負の静電相互作用が働くということ。エンタルピーΔHの損失に他ならないわ」

「その通りです。DNAはDeoxyriboNucleic Acid、核酸というくらいですから、中性付近では負電荷を持った物質で、ご指摘の通りそれらの間では負の静電相互作用、静電反発が働きます」

「ところでお嬢様、汗はどんな味がしますか」

「何よ。私が汗臭いっていうの」
お嬢様は顔を赤らめ自らの匂いを確かめる素振りをする。

「いいえ。お嬢様はいつもいい香りですよ。私はどんな味がしますかと聞いたんです」

「!? セクハラで訴えるわよ。味わおうと思って味わったことはないけれど、まぁ多分しょっぱいんじゃないかしら」

「…あっ!」

「そうです。しょっぱいですよね。しょっぱいということは、塩化ナトリウムが含まれているということですね。勿論汗にはそれ以外も含まれていますが。まぁ体の中には塩があるということです」

「塩化ナトリウム…Na+、ナトリウムイオンね。これがDNA分子中のリン酸のマイナス電荷を打ち消すのね」

「そうです。DNA分子は二重らせんを形作る際に、ナトリウムイオンをはじめとする周囲の陽イオンを引き付け、負の静電相互作用を打ち消します。この現象を対イオン濃縮、といったりしますね」

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図4 対イオン濃縮

「なるほど。二重らせん構造は、単に塩基対の形成によって安定化していると習ったけれど、実際には自己集合によるエントロピーの損失、分子自身が持つ負電荷による静電反発、塩基のスタッキング相互作用によるエンタルピーの獲得、対イオン濃縮による静電反発の打ち消し、これらのバランスによってその構造が成り立っているわけね」

「そうです。先ほどナトリウムイオンを代表としてあげましたが、実際にはカリウムイオンやマグネシウムイオン、その他にも正電荷をもつ様々な分子がDNAの構造や機能の制御に重要であることがわかっています」

「先ほどお嬢様は、DNAの分子がどう生命に、生命と非生命の間には何があるのかと仰いましたが、DNA分子の生命としての中心的な役割はやはり遺伝情報の方舟としての役割でしょう」

「日本語が50音、アルファベットが26文字、コンピューターが0と1の2文字で記述されるように、生命の情報は4文字の塩基によって記述されている。そういうことね」

「はい。DNAがそこに刻まれた文字、塩基配列を後世に伝えるとき、情報をタンパク質として発現するとき、そういった時にはその構造が緩んだり固くなったり、三重らせんや四重らせんといった二重らせんでない構造になったりと様々な姿を見せます。様々な姿となるためには、周囲の陽イオンの濃度、種類などにも影響を受けますし、DNA分子がエピジェネティックな制御を受けるといったこともあるでしょう。また、DNAの分子に刻まれた塩基配列にはタンパク質の情報だけでなく、相互作用の時空間的な制御に関わる情報も書きこまれています」

「ちょ、ちょっと待ってよ。わからないわよ。難しいわ...」

「すみません」

「生命と非生命の間には何があるのかという問いですが、その答えの一つとしてはそうですね…生命は様々な物質が複雑に相互作用することで形作られる精緻な制御によってそこに存在している、というのが1つの答えになるでしょうか...」

「答えになっていないような気がするわ…めずらしいわね」

「…」

「まぁいいわ。二重らせん構造についてなんとなくすっきりした気がするわ。生物は覚えることや暗記が多くてなんとなく好きになれなかったのだけど、こうして化学や物理で考えてみることも出来るのね。面白いわ」

「そういって頂けると嬉しいですね」

「なんであんたが嬉しがるのよ」

「いいえ」

「...」

「休憩時間は終わりです。勉強の続きに戻りましょうか」

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